ドラマ『わたしを離さないで』最終話

最終話。

恭子のもとに提供のお知らせが来ないのは何故なのだろう。提供の輪廻の中から逃れられない閉塞感の中で何かが紡がれ続けることが主題だったと思うのだが。何故か輪廻の輪から解脱するのであれば、その意味を描いて欲しかった。
 
そう、僕はこれを輪廻の物語として捉えているらしいのだ。手塚治虫火の鳥』と比較しながら。
 
輪廻から逃れられない、その中で生きていくしかない、けれどそれは運命論的に全てが決まってしまっていて生きる意味がないということでもない、という考えであれば、最後のカットは提供開始のお知らせの手紙だと思っていた。漂着したサッカーボールに恭子が救われたのなら、特に。
 
輪廻から抜けるなら、介護人として「提供者」に対して生きる意味はあることを示す人になるとか。それが偽善の果ての何かだとしても死に行く魂の救済という、ちょっと宗教くさい終わり方もありえただろうし。
 
運命決定論的なものなら意思など欲しくなかったと苦しむことを描くなら、そういう宗教くさいところからは逃げてはいけない気がしたのだか。
 
絵と音楽で押し切られた感がある。もうちょっとで傑作だったのにというのは、わたしの欲が深すぎるのかもしれない。