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見たものと、読んだもの

TATE Modern / テートモダン 抽象画: モネ、ロスコとリヒター

モネは印象派の巨匠だ、という印象しかなかった。

晩年は目を悪くされて、全面がぼんやりとした感じの絵になるものだなあとも。

が、そのぼんやり感が抽象画っぽい! ということを、今回のTate Modernのキューレーターに気付かされた。すごいね、キューレーションの力。

まずは、モネのこれ。

Water-Lilies / Claude Monet / after 1916

女性と比べるとかなり大きな絵だということがわかる。この壁は、これしか貼っていない。

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'Water-Lilies', Claude Monet | Tate

キューレーターはこの隣に、Mark Rothkoを並べ、関連性をみてみろと挑発する

Red on Maroon / Mark Rothko / 1958-9

明るい部屋に展示されているWater-Liliesから一転、暗い部屋へ。ここにマーク・ロスコの "Red on Maroon" "Black on Maroon" がほの明るく浮かび上がる。

(フラッシュもたきたくなかったので、写真はなし)作品群は以下を参照されたし。

http://www.tate.org.uk/search?rid=10619&type=object

room 10にある、ロスコの絵がまとめて閲覧かのうだが、あの大きさと部屋の暗さとの連携は、さすがにオンラインでみるのは厳しいね。

 

そしてその隣の部屋が、ゲルハルト・リヒター

Cage (1) - (6) /Gerhard Richter / 2006

ゲルハルト・リヒターが、ジョン・ケージの音楽にインスパイアされて描いた絵。

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'Cage (1) - (6)', Gerhard Richter | Tate ←部屋の感じと、ひとつひとつの作品はこちらで。

でもさ、ぼくにとっては モネにはこっちのほうが近く感じた。

まったく関係ないはずの絵が、キューレーターの補助線によって、こういうのどう? と関連付けられ、さらにそれを別のものとも関連付けしてみてやろうなんて気を起こさせるのって、すごい。

 

TATE Modern / テートモダン 行き方と建物編

現代アートにめざめてしまった。抽象画をみて楽しいと思ったのは初めてだ。

通いたいわぁ。

行き方

公式な行き方はこちらから。"GETTING HERE" をご覧あれ。

しかし、ついでに建物も見ながら進みたいならば、北側からテムス川を渡ってくるか、南側のサウスバンクを散歩しながらたどり着くか。

北側から攻めるなら、central線のSt.Paul's駅でおり、セントポール大聖堂を見て、ミレミアムブリッジを徒歩で渡って、テートモダン到着、がおすすめ。

南側から攻めるなら、Jubilee線ないしNorthern線のLondon Bridge駅を降り、テムス川沿いに西へ西へと歩くのがおすすめ。シェークスピアゆかり揃い。サウスワーク大聖堂→シェイクスピアが通ったとかいう英国パブのThe Anchor→グローブ座と歩いていける。

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グローブ座

建物

旧館と新館がある。もともと発電所だった旧館が Boiler House、今年(2016年)に出来たばかりの新館が Switch House。どちらも同じくらいの大きさ。

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旧館:ボイラーハウス / boiler house

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新館:switch house (ケータイのカメラだと入りきらなかった。けどファザード素敵でしょ?)

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北側の入り口

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入り口から振り向いてセントポール大聖堂をみる。特別展のノボリのしたでは、いろんなひとがパフォーマンスしている。

 

どちらも2階と4階(ややこしいが日本風に言うと3階と5階。地上1階がグランドフルア略してG階なので。本稿は、英国式にならう)が無料展示。他の階は優良の特別展や会員限定の施設など。

ぼくは入っていないが、てっぺんの8階にはレストランがあって眺望が非常によろしいらしい。

エスプレッソバーなどお茶するところも、無料ソファもたくさんあるので、疲れたらいつでも休めばよい。

無料展示室は基本的に写真はOK。オーディオガイドが5ポンド弱だったかな。コインが不要だったので、「釣りは寄付します」とかっこよくいってみた。

入り口は、北の川側にも南側にもあるが、北側がおすすめ。背にセントポール大聖堂を背負いながらはいっていくのは気持ち良い。

無料展示

英国美術館博物館なので、基本的に無料。4ポンド寄付してねとかいてあるので、ぜひ寄付するか、何か買おう。まじで内容がすごいので、お布施するべき。

 入ってまずは驚け。超大型ホール "Turbin Hall/ タービンホール" である。

f:id:nimben:20161004134040j:plain縦155m、横23m、高さ35mの巨大な空間があり、そこで動くインスタレーションを行っている。あまりにも巨大なので一目では見切れないから、上記写真のように寝転がって天井を見るようにして観覧しているひと多数。

私が行った時は、音楽に合わせて照明が点いたり消えたり、また大きな壁のようなものがつり昇がったり降りたりするという、star guiterのPVのような感じだった。

 


The Chemical Brothers - Star Guitar

長くなったので、展示物に関する感想は次の項にて。

TATE Britain / テートブリテン

テートブリテンは、国立美術館グループ「TATE」のなかで、イギリス芸術を担当する。のちに記述するテートモダンは近現代芸術担当。

イギリス風景画の巨人JMWターナーの作品専用のクロア・ギャラリーもあるが、今回はみる時間がなくて断念。次はクロア・ギャラリーのためだけにテートブリテンに行きたい。

場所

Victoria線でPimlico駅から歩きました。ちょっと遠いかな。途中のChelsea College of Arts and Designではなんかでっかいオブジェがつくられていたので、そういうのをみながらいくのもいいかも。

 

木の大きなオブジェ。ひとが入れます。↓

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おなじVictria線でVauxhall Station駅から川をわたってくると、テートブリテンの建物がよく見えるのでよいかも。あとはハシゴ前提で、川から。テートモダンへ/から、というのもいいかも。

オフェーリア

オフェーリアを見に行きたかったのだ。(1851-52/ Sir John Everett Millais, Bt )

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Image released under Creative Commons CC-BY-NC-ND (3.0 Unported)

ハムレット」のオフィーリアが、ついに川の底に沈む一瞬前、エロスというかタナトスというかいろんな解釈のできそうな表情をしているすがたは、精細に描かれた周りの草花のニュアンスと相まって、何度見ても美しい。

そしたら、その逆方向の壁に、似たようなニュアンスの絵があった

 

シャーロット夫人

The Lady of Shalott (1888, John William Waterhouse )

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Image released under Creative Commons CC-BY-NC-ND (3.0 Unported)

内容の公式サマリーはこちら→'The Lady of Shalott', John William Waterhouse: Summary | | Tate

ゆらりと運命が最後の歯車を回し始め、そしてそれを誰も止めることはできない。美女は運命を受け入れるというよりも絶望にひたりながら、船がついに動きだそうとする。何かの物語の始まりかもしれないし、終わりかもしれない。

調べてみると、これはTennysonの詩だという。

And down the river's dim expanse
Like some bold seer in a trance,
Seeing all his own mischance
With glassy countenance
Did she look to Camelot.
And at the closing of the day
She loosed the chain, and down she lay;
The broad stream bore her far away,
The Lady of Shalott.

そして川は薄暗く広がっている
トランス状態になった傲慢な予知者が
自らの不運をすべて見通してしまい
草のようなうつろになったような表情で
彼女はキャメロットをみた
やがて日は暮れ
彼女は鎖を緩めて横たわる
大きな川の流れが彼女を遠くへ流し去る
シャーロット夫人を

ニュアンスがうまく訳出できないなあ。黒い川と黒い闇のなかを、シャーロット夫人という明かりが黒い川と闇のなかを光りの穴を開けながらしかし流されていき、たゆたう流れのなかでついにその光りも消え、最後に闇だけが残る、というような絵が妄想的に浮かぶのだが。

恥ずかしいことにアーサー王の伝説、ほとんどわからないので、ちょっと勉強しよう。

キャメロットアーサー王伝説の都の名前だということすら知らなかった。

Carnation, Lily, Lily, Rose

いちばんかわいかったのは、こちら。「カーネション、ユリ、ユリ、バラ」John Singer Sargent 1885-6

'Carnation, Lily, Lily, Rose', John Singer Sargent | Tate

 

John Singer Sargent - Carnation, Lily, Lily, Rose - Google Art Project.jpg
  - Tate Images (http://www.tate-images.com/results.asp?image=N01615&wwwflag=3&imagepos=1>), パブリック・ドメイン, リンクによる

なんとも愛らしい。

どうやらぼくにとってテートブリテンは19世紀中盤の可愛らしい叙情性のある絵がそろっている美術館みたい。(←クロアギャラリーみていないのに何を言う)

パフォーマンスアート

ターナー賞展などもやっていたのだが、ちょっと時間がなかったので出ようかとしていたところ、いきなりこじっまりしたホールと廊下の中間のような場所でパフォーマンスが始まった。

バレエシューズを履いた3名の女性ダンサーが、特に音楽もなく踊り始める。法則性を見出そうとすると、床に描かれた2パターンにそって踊る人と、それには合わせずに踊る人がいる。振り付けは似ているが、ずっとシンクロしているわけではない。

とくに開始ですよという合図も、終わりですという合図もなく、たんたんとたんたんと踊り続ける。

じっと見ているひともいれば、まったく無視しているひともいる。

すごくかっこいいとかそういうものでもない。

ただ、芸術がただただそこの空気のなかにあるような感じで、特別なものというより日常的ななにかだった。

そしてそれは、芸術都市ロンドンを象徴するようなものかもしれないとおもった。

シン・ゴジラ 英語字幕版

飛行機の中で鑑賞。

画面が文字で一杯。さすがに読み切れない(笑)

平成明朝体で書かれる説明字幕は、スクリーンの左上に英文で書かれていた。かなり忠実。画面を写真に撮りたかったが、さすがに自重した。

会話部分を素直に字幕にするのは、無理があるので、どうしても過剰にシンプルにならざるを得ない。このため、かなりのニュアンスがなくなる。ポジティブにいえば、言い訳がましく色々言っているところがなくなって、全員が前向きにプラグマティックに仕事をしてる風に見える。

ただ、省庁の英字略称が説明なくかかれているので、なんのことかわからせる気がないかも。さらには、海外のふつうのひとはSDFとかいてあって何のことかはわからないよね。Self Deffence Force, 自衛隊

わからせるためにはArmy/Navy/Air Forceをつかうんだけれど、配慮が勝っているんだろう。

これ、世界公開するならさすがに吹き替えでないと厳しいのは、よくわかった。

 

新井素子『星へ行く船』『通りすがりのレイディ』出版芸術社2016

再販です。

星へ行く船シリーズ1星へ行く船

星へ行く船シリーズ1星へ行く船

 
星へ行く船シリーズ2通りすがりのレイディ

星へ行く船シリーズ2通りすがりのレイディ

 

 

オリジナルは1981年から刊行されるコバルト文庫の『星へ行く船』シリーズ全5巻。

出版芸術社から決定版として再出版されることになった。思春期だったころに読んでいたシリーズを、もう一度読むというのは、なかなか勇気がいる。

ひとつには年をとったので、いわゆるジュニア小説文体を今読んで読めるものなのか。

もうひとつは、思い出補正でハードルがとてつもなく上がっていて、けっこんなのつまらんと言い放ちはしないだろうか、ぼくが。

正直『星へ行く船』はちょいとつらかった。第一のほうの理由で。

 宙港は、ごったがえしていた。そう、いつだってここはごったがえしているんだ。俺は一種の感慨を覚えながら思う。この前宙港へ来たのは、確か、中学の修学旅行で月へ行った時だった。その時も、ここは人でいっぱいだったっけ……。

 あれからもう五年もたつのかあ。軽く足で空をける。小石でもけりたい処なんだけど、つめたい光沢のリノリウムばりの床には、勿論石なんておちていない。あれからもう五年。いつの間にか。そう、いつの間にか、俺は十九になっちまっていた。

 というのが冒頭だ。「なっちまっていた」なんてさすがに今時つかわないからね。

でもまあ、それは慣れというもので。少しずつ、読み手のほうが作品世界に近づいていけばいい。

このシリーズで一番好きなのは『通りすがりのレイディ』で、ぼくもレイディが好きなのだ。

「(前略)自分が運のいい子だって確信と、”我、ことにおいて後悔せず”っていうのと、”人間万事塞翁が馬”っていうのがくっついちゃったら、できあがるのは超弩級楽天家だろうって」

  超弩級楽天家ーー確かに。と。レイディ、急に真面目な顔になる。

「でもね。わたしにはあと二つばかり信念があるのよ。”不撓不屈”っていうのと……”誰が従容として運命に従ってやるものか”っていうの」

これを読んだ瞬間に、たぶん、ぼくはレイディに恋に落ちた。

細かいところは覚えていなくても、全体としてどういうことかは覚えているわけで、どうしてこういうセリフをいわなかならないのか、すでに知っているんだもん。

全く覚えていなかったとしても、莫迦だなあ、たぶんぼくはここで泣く。

そりゃ、ね。アクションシーンどうにかならないのとか。なんでみんなそんなにいいひとなのとか、ありますよ。でもさ、それはジュニア小説の文法だから、そこは引っかかる処じゃないというか、引っかかったらそもそも読むな的な。フランス書院文庫にエロを求めないくらい変な話で。

好き嫌いがあるとはおもうけれど、キャラクターが魅力的。キャラクターたちは、リアルタイムで読んでいる時はお兄さんお姉さんだったけれど、いまでは年下というか、下手したら、ほんとうにすごい下手をしたら自分の子供くらい。読みながら、あのお兄さんお姉さんが、という懐古的な読み方と、若いのに大人だねえとか、わかいねえとか思いながらいまの気持ちで読むとか。複雑すぎてよくわかんないことになっているけれど。

やっぱ思春期に、同時代にリアルタイムで読んでいてよかった。

 そして、もう一度そのときの気持ちを味わいながら、それなりに年をとった中で読み返すチャンスがあって、ほんとうによかった。

<Fin>  <-- ずっと「フィン」って読んでいたけれど、フランス語だったら「ファン」だね。こうやって知識は更新されていく。