cafe de nimben

見たものと、読んだもの

海野つなみ『逃げるは恥だが役に立つ』テレビドラマ版も合わせて

ガッキーがかわいいだけのドラマと一部言われているのは知っている。

ガッキーはたしかにかわいい。

が、その絶妙なコメディエンヌぶりと、相方の星野源のコメディアンぶりに隠されて、けっこうディープな話をしている。

原作もまだ完結していないが、読みました。ガッキーのかわいさに寄りかかれない分、ぎゃくに普通の子だからこその悩みがみえて、こっちはこっちでおもしろい。

 

 

原作付きの脚本だと、いまこの人をおいて他にない野木亜希子。『空飛ぶ広報室』『重版出来』もすばらしかった。

 

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尺の長さに合わせてもちろん改変してあるのだけれど、原作の一番すくい取りたい部分をきっちりテレビの形に掘り起こす。一本の木から掘り起こす仏師のようだ。

 

さて、この作品で出てくる単語で、じつは一番解釈に苦しむのが「小賢しさ」だ。

小賢しさというのは、どうしてそう思うようになるんだろうか。

小賢しくしようと思って、小賢しく振舞うひとはいないとおもうのだが。

少なくともみくりは、ひとを見下したり、マウンティングをしたくて「小賢しく」振舞っているわけではない。そこは「意識高い系」や「能ない鷹が爪だしまくり」な見下しとは違う。いわば大きなお世話の一種なのだと思うが、それが裏目に出る。

でもそれは、男女共同じだろうにとおもう。

なんとなくだが、作者は「女子供はだまってハイハイいってりゃいいんだ」というやつに長く晒されて、意識的にか無意識的にか、若い女子が合理的ないし論理的なことを言うということに対して、(特に大人の)男は見下して「小賢しい」というものだ、というのがあるんじゃないかという気がする。

そのわりには、平匡さんのように、ステレオタイプとはちょっと違ったキャラクター造形をするからおもしろい。

原作は完結していないが、どう完結させるんだろうね。たのしみ。

片渕須直『この世界の片隅に』2016/原作:こうの史代

この映画を語るようなこたぁ、わしにゃぁ、ようせんのよ。

広島生まれ広島育ち、呉に親戚がいて、祖母とだいたい同じ世代のすずを、他の映画のような感じで、他人の物語としてみることができんけぇね。

 

田舎のうちで、鴨居のあたりに掲げてある白黒の写真を見て、ありゃあ誰ねぇ? いうて、みんな微妙な顔をしながら、ご先祖さんよいうてから、原爆で死んだんよいう話を、自分の目で見たり聞いたりしよったら、なんとなく触れちゃぁいけんような、なんかがあるんじゃな、いう下地はできるんよ。

原爆教育いうんは、小さいころから学校でもされる。原爆資料館も遠足でいったりするしね。今のは二代目じゃけど、前の資料館はもうちょっとえげつないくらいの展示じゃったし。わしらが遠足でいくころは、小学生でもみれる程度にしとってくれたらしいけど、ほんまの最初は気持ちがわるぅなってもどすひとがおるけぇいうて、バケツが置いてあったそうなけぇ。『はだしのゲン』も含めて、ぶちショックをうけるよね。

そういうショックを描いた映画じゃない。

ほんかわしたような絵にゃぁ違いないけど、ものすごう足で調べて、圧倒的なリアリティを封じ込めてあるいうんは、ようわかる。

呉もほんまにあんな感じ。急な斜面を段々に削った土地に、家やら墓やら畑やらができとって、人間がへばりつくように住んどる。原爆雲がみえたいう話も、聞いたことがある。

今の広島にしても、建物は近代的になったいうても、市内の川は変わらん。

ブラタモリ』のタモリじゃないけど、川と道は変わらんけぇ、あそこのあの街のあのあたりいうんが土地の記憶として続いとる。

それをタイムスリップして、小さいころから写真で見て焼き付いとる、被爆前の広島の航空写真や、のちに原爆ドームとして有名になる産業奨励館が立っとる姿をカラーで動いとるのをみたら、もうわしゃあやれんかったよ。この街が八月六日にぁ、ああなるいうのが、もうわかっとるんじゃけぇ。あそこにおった普通のひとらがどうなるか、知っとるんじゃけぇ。

それでも見つづけることができたんは、すずの、そしてその声をあてた、のん、の演技じゃったようにおもう。そのままみたらつらすぎるけど、今でいうたら天然でぼーっとしとるすずさん視点でずっと描いてあるけぇ、変な戦争反対、原爆反対いうような、そういう大きい話にならんかったんが、わしにとっちゃ、ほんまによかった。

この映画をみて、おおきな物語として何かを決意するひとがおるかもしれんし、ただの娯楽としてみて、ええ映画じゃったね、いうて忘れていくひともおるじゃろう。

でもわしは、何があっても日々をなんとかできれば楽しく生きていくいうんは、生き方次第のことじゃいうんと、どんなに人間関係やらで苦しぅても、日は照り、月は欠け、トンボは飛び、たんぽぽは綿毛をつける、この世界の上での話なけぇ、変に地に足がついとらんところでしかものを感じられんようになったらいけん、いうことが印象に残った。

すずさんもあのまま生きちゃったいうても、もう老衰で亡くなっとる歳じゃろうおもうけど、広島で拾った子供やら周作さんと、貧乏かもしれんけど、幸せな家庭をきずけとったらええね。

新井素子『……絶句』1983年早川書房(2010新装版)

新井素子作品の中でいちばん好きな作品。

2010年新装版を底本にしたKindle版が出ていたので、『星へ行く船』の余波で購入。

…絶句〈上〉 (ハヤカワ文庫JA)

…絶句〈上〉 (ハヤカワ文庫JA)

 
…絶句〈下〉 (ハヤカワ文庫JA)

…絶句〈下〉 (ハヤカワ文庫JA)

 

いまとなってはNHKラジオドラマ版と原作である小説版のどちらで最初に読んだのかは判然としない。

今読むと、高校生とか大学生が書いた話としてとても優れているなあと感心する。

それは自分よりもちょっと年上の作家が、世界をその視座で見せてくれるという意味で、とても気持ちいい、ちょっぴり大人の世界だった。

もちろん中年になった今から振り返ると、世の中はそうは動いていないよ、なんてことはあるのだけれど、それはそれ。

歳をとり、新しい世界の扉を開くことへの、ほんの少しの恐れと、それを圧倒的に上回る好奇心に満ち溢れている、青春時代のポジティブサイドが、行間にあるというのがすばらしいのだ。

読み始めると、十代にもどって楽しめた。

 

物語の中身を書くのはむずかしい。

小説家新井素子が主人公で、彼女が作り上げたキャラクターたちが「事故」で現実に出てきてしまう。

キャラクターたちはとあることに憤り、行動を開始する。

事故の収拾のために、「加害者」が駆け回ろうとすると……というドタバタSFジュブナイルコメディ。

 

と要約しちゃうには、ぼくのなかでは無理がある。

それは、流れと設定をなぞっただけだからだ。

 

通りすがりのレイディ』が、”誰が従容として運命に従ってやるものか” を描いた作品だとすると、『……絶句』は

「あたし……新井素子といいますけれど……あたり、自分の名前を単なる個体識別の道具にしたくないんです」

 という矜持と、

「あたし、この地球って星が好きよ。あたし、この世界が好きよ。そして……あたし……

あたしが好きなんだからねっ!」

という、自己と世界への肯定が、この本のキモだとおもうし、そしてそこにぼくはものすごく心励まされながら読んだのだ。

矜持だけだと、ただの鼻持ちならないひとになってしまうことがある。

しかし、その矜持が、ポジティブな、善な、利他的なものをベースに構築されていたならば、これほど痛快なものはない。在りし日の少年漫画の主人公みたいなカタルシスが約束される。

あんまり明るい青春時代ではなかったので、何かしら「生きていていいのだ」と思わせてくれる作品が、ぼくには必要だった。

暗い嫌な現実があっても、総体としては明るく楽しい今と未来があるかもしれない、という近視眼的になりがちなところを、いい意味で引きの位置においてくれたんだとおもう。

今ももちろん、楽しいことばかりが起きるわけではないが、世界の楽しさを思い出すには、そしてそれをキラキラとした宝石のようなむかしの思い出として思い出すには、とても素敵な物語だった。

あまりに個人的体験と結びついているので、あなたにとっていい小説かどうかはわからない。小説技法としては飛び道具がいくつか出てくるし、30年前のジュブナイル小説だから時代感覚も合わないかもしれない。

それでも、もしも御縁がありましたら、いつの日か、お手にとってご覧いただきたい小説ですね。

 

 

 

 

The Guards Museum / 衛兵博物館 @London, UK

英国近衛兵博物館

www.theguardsmuseum.com

※無料ではありません。

どう行くの?

たぶんここだけのために行く人は少ないと思うのです。近いのはSt. James's Park駅だけど、Westminster 駅から、ホースガーズからセントジェームスParkに入って、散策した後にたどり着くのがいいような気がします。もちろんVictoriaからいっても、Green Park駅からバッキンガム宮殿の観光してからついてもいいんですけど。

 

何があるの?

近衛兵の博物館なので、近衛兵の歴史を一覧できます。前項のHouseHolds Cavalry とはちがって、こちらは歩兵連隊。

近衛兵の帽子につける羽飾りなどで、どの近衛兵なのかがわかるようになるレクチャービデオから始まります。

みんなブリキの兵隊さんかとおもったら違うのでおもしろいですよ。

  1. グレナディアガーズ (Grenadier Guards/ 擲弾兵近衛歩兵連隊) 1656年創設。
    帽子の羽飾りは、左に白。
    上着ボタンは等間隔に8個。
    名前の由来はワーテルローの戦いでフランス最精強の擲弾兵(Grenadier)を破ったことから。あのもこもこした黒い帽子が「ベアスキン/ 熊皮帽」で、これが擲弾兵の象徴。
  2. コールドストリームガーズ (Coldstream Guards) 1650年創設。
    帽子の羽飾りは、右に赤。
    上着ボタンは2個ずつ4組計8個。
    名前の由来は、募集した町の名前。
  3. スコッツガーズ (Scots Guards) 1642年創設。
    帽子の羽飾り無し。
    上着ボタンは3個3組計9個。
    名前の由来は、のちのイングランド王チャールズ二世がスコットランドの王位についたときの近衛兵だったがこと。
  4. アイリッシュガーズ (Irish Guards) 1900年創設。
    帽子の羽飾りは右側に青。
    上着ボタンは4個2組計8個。
    名前の由来は、ボーア戦争時のアイルランド人連隊の勇猛さから。マスコットはアイリッシュウルフハウンド。閲兵や分列行進のときには連れて行く。なお、現在の連隊長はウイリアム王子。
  5. ウェルシュガーズ (Welsh Guards) 1915年創設。
    帽子の羽飾りは左に白と緑。
    上着ボタンは5個2組計10個。
    名前の由来は、ウエールズ人の近衛連隊も作るべきとジョージ五世によって。

これも、ワーテルローの戦いがかなりフィーチャーされているのと、近代戦もかなりカバーされています。ナチとの戦い(ハーケンクロイツの旗を初めて生で見た)、イラン、フォークランドアフガニスタンなど。なので後半はかなり生々しい。

また、隣におもちゃの兵隊さんのショップがあるので、お土産好適品かも。

 

 

The HouseHold Cavalry Museum / 近衛騎兵隊博物館 @London, UK

ロンドンにいって、馬と制服が好きなら、こちらへどうぞ。

The HouseHold Cavalry Museum

行き方

最寄りの駅は、westminster駅ですかね。Circle, Jubilee, Districtの各線があるので、便利です。降りると目の前にビッグベン。国会議事堂をみながら北側に進むと、騎兵さんが警護していて、みんなが写真を撮っていりうので、わかりやすいです。

 

どんな博物館?

バッキンガム宮殿の交代式やロイヤルウェディングでの護衛でも有名な騎兵隊の博物館です。

ここのいいところはオーディオガイドが無料なんだけど、残念ながら日本語はない。

戦いとしてはナポレオンとの戦争である、ワーテルローの戦いがフィーチャーされています。

ちなみに、ロイヤルウェディングで、騎兵隊は2種類の制服がありました。

赤いのと青いの。

こっちがチュニックが赤い「ライフガーズ連隊」(CC-BY-2.5/ author:Kjetil Bjørnsrud)

 

 

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/78/Lifeguard_Buckingham.jpg

(チュニックが赤で、カブトの房が白い)

 

こちらがチュニックが青い(濃紺)の「ブルーズ・アンド・ロイヤルズ連隊」

(CC-BY-2.0 作者Jon)

ファイル:Cavalry Trooping the Colour, 16th June 2007.jpg

(チュニックが濃紺で、カブトの房が赤い)

 

Life Guards 騎兵連隊とBlues and Royals騎兵連隊の二つ合わせて王室騎兵隊。タイトルにある "HouseHold Cavalry” です。

私の場合は、儀式用のものが好きなのだけど、英陸軍序列一位だけあって、実戦もおこないます。騎兵だからといって馬にしか乗らないわけではないし。

馬がお好きであればお気に召すかも。