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見たものと、読んだもの

郭敬明『陰陽師: とこしえの夢』2020/中国

伝奇アクションブメロドラマ。

夢枕獏原作を、中国&NETFLIXで。


『陰陽師: とこしえの夢』予告編 - Netflix

 

日本版といえば野村萬斎主演の2001年版なのだが、20年経ったらああなるのね。


陰陽師(予告編)

 

個人的には夢枕獏原作であれば、岡野玲子版の漫画が好きなのです。このため、安倍晴明源博雅は、ああいうイメージ。

 

それと比べると、晴明も博雅も、随分とキャラクターは随分と異なる。

なんと言っても、それが根本原因なのか、という部分が。

CGとアクションがとても良いので、一見の価値ありです。 

スタンリー・キューブリック『フルメタル・ジャケット』(FULL METAL JACKET) 1987米

なぜか、今更初見。

これが元ネタか、というのが多すぎて、話の筋というよりもそっちの方が気になってしまった。

フルメタル・ジャケット (字幕版)

フルメタル・ジャケット (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

謎を提示した後で、観客の「なぜ」で物語を引っ張り、大団円に持ち込むというミステリー駆動タイプの映画ではないのにびっくりした。『時計仕掛けのオレンジ』(1962)も『2001年宇宙の旅』(1968)も私にとってはミステリー駆動だったので。

とある若者が、戦争に駆り出される事になり、ブートキャンプに入れられ、戦場に投入される。ただそれだけ。ベトナム戦争が終わりなき戦いの中で、ずっと続いていたように、ただただ日常が続いていくのを活写するだけ。

それだけなんだけど、そのリアリティがすごい。「ホント、戦場は地獄だぜ」というのを見せつけられる。テレビモニタがどこでもドアで、当時のベトナムに繋がっているかのような感じ。

映像の魔術

あと、映像がおもしろいのは、基本的に全画面にピントがあっているところ。

『セブン』のデヴィッド・フィンチャーなんかが対極で、被写界深度がとても浅いので、全体を見せたいとき以外は、前あるいは後ろはボケている。 


David Fincher - And the Other Way is Wrong

ちなみに、『セブン』のモーガンフリーマンの上司は、この『フルメタルジャケット』のハートマン軍曹役のR リー アーメイである。

 

このため、フィンチャーの映画は、監督が視点誘導をしているのだというのが、わりと意図的にみえてくるのだ。

しかし、キューブリックの映画は、わりと全画面にピントがあっているのに、なぜかそこに視線が誘導されてしまう。なぜだかわからない。映画学校で学べばもしかしたらわかるのかもしれないが。非常に作為的なはずなのに、なぜそうされているのかわからない。だからただ、映画のスクリーンというどこでもドアの向こうの非日常に、投げ込まれたような気がする。

しかも、戦場という地獄に。

 

元ネタの宝庫

戦争は地獄だぜ

はい、パクられまくっているけど、これが元ネタ。


【フルメタル・ジャケット】 Get Some

ain't war hell!

直訳すると「戦争は地獄だ」

字幕は「ホント戦争は地獄だぜ」この「ホント」がすごく効く。

ain'tは、文脈によって随分変わるので、ここでは "Don't you think war is hell? HAHAHA" くらいの感じで理解している。

ain't ってよくわからない、砕けた(場合によっては粗野な)言葉だ。

[be動詞] + [否定 not の短縮系] = ain't という説明もあるのだが、have not という解釈もある。ソウルの名曲 "Ain't no mountain high enough" は "There is no mountain high enough" と理解すべきで、"It is not no mountain high enough" と解釈すると否定がダブって意味がわからなくなるという、正統文法からは外れる使い方。何で習ったのか忘れてしまったので間違えているかもしれないが、否定系を重ねるのは否定を強くする意味で使われることがある、というやつかもしれない。となると、" never" を入れて強くしたくなる。"There would never be a mountain high enough" という、完全なる存在否定。「越えられない山なんてないぜ」


Ain't No Mountain High Enough

Ain't no mountain high.
Ain't no valley low.
Ain't no river wide enough baby.

登れない山はない。越えられない谷はない。渡れない川はない。君のためなら。

 

逃げないヤツはよく訓練されたベトコンだ

これも有名な元ネタ。字幕だと

逃げる奴はみなベトコンだ。

逃げない奴はよく訓練されたベトコンだ

実際に言っているのは、

Anyone who run is a VC

Anyone who stand still is a well-disciplined VC

直訳すると、「走る奴はみんなベトコンだ。立っている奴は、よく躾けられたベトコンだ」なのだが、字幕版の方が、戦争の狂気が滲み出る。disciplineだものね。ここだと「規律」というより「躾け」な感じ。サッカーだとよく規律という訳が当てられますが。

ついでに、

How could you shoot women and children?

も、よく英文法で出てくるやつで、

よくも女子供を撃てるな!

という非難の意味がある "How" なのだけど、文字通り

どうやって女子供を撃つのか?

と理解したのか、

Easy

と答えるのも怖い。徹頭徹尾、戦争の地獄さを、明るく話すところがまた地獄。記者の若者が吐きそうになっていなければ、ふらりとあちら側に行ってしまうかもしれないくらい、当たり前に地獄が口を開いている。

 

ちなみにこのマシンガンをぶっ放す人は、本来はハートマン軍曹役だったらしい。が、演技指導の人 (Ronald Lee Ermey) が良すぎて、外されてこちらにあてがわれたらしい。原作にはこの機銃手にはセリフもなかったらしいから、セリフをつけてあげたのかしら。

VCはベトコン(Vietcong)の略ともVietnamese Communist(ベトナム共産党)の略とも。南ベトナムに肩入れしている米軍に敵対する南ベトナム解放戦線。

しかしまあ、ハートマン軍曹を含めて、みんな言葉が汚い汚い。Fワード、Sワードだらけ。(卑語系は、最後に蛇足として付け加えました)

 

祈りと詠唱 


フルメタルジャケット ガチ

この祈りというか、呪文詠唱のシーンも有名というか、多分戦闘系ファンタシーの口調に大きな影響を与えているように思う。

This is my rifle. There are many others like it, but this one is mine. My rifle is my best friend. It is my life. I must master it as I must master my life. Without me, my rifle is useless. Without my rifle, I am useless. I must fire my rifle true. I must shoot straighter than my enemy, who is trying to kill me. I must shoot him before he shoots me. I will. Before God I swear this creed: my rifle and myself are defenders of my country, we are the masters of our enemy, we are the saviors of my life. So be it, until there is no enemy, but peace. Amen.

字幕では

これぞ我が銃。銃は数あれど我がものは一つ。これぞ我が最良の友。我が命。我銃を制すなり我が命を制すごとく。我なくて銃は役立たず。銃なくて我役立たず。我的確に銃を撃つなり。我を殺さんとする敵よりも勇猛に撃つなり。撃たれる前に必ず撃つなり。神にかけてこれを誓う。我と我が銃は祖国を守護する者なり。我らは敵には征服者。我が命には救世主。敵が滅び平和が来るその日までかくあるべし。アーメン

尺に合わせて短くし、文語風になっていて、これはフォロワー出るよねぇ、という感じ。キューブリックは字幕にもうるさかったと聞くので、擬古文で訳したということは聞いていてOKを出したのだろうと思う。絶対、某アンデルセン神父とか、ここら辺の文体を真似ただろうという妄想が捗る。

 

直訳っぽく訳すと

これは私のライフルだ。似たようなものはたくさんあるが、これが私のだ。私のライフルは親友で、命だ。人生をマスターせねばならぬように、銃をマスターしなければならない。私なしではライフルは役立たずで、ライフルなしでは私も役立たずだ。私は私を殺そうとする敵よりも的確に撃たなければならない。敵が私を撃つ前に、私は撃たなければならない。そうする。神の前にこの信条を誓う。私のライフルと私自身は、この国の守護者だ。我々は敵を制圧する。我々は自分の命の救世主だ。かくあれかし。敵がいなくなり、平和が来るその日まで。アーメン。

のようになる。全然かっこよくないなぁ。文語調って締まるね。

そして最後に、ミスマッチなはずなのにピッタリくる音楽


フルメタルジャケット ミッキーマウス

このシーンに、「ミッキーマウスマーチ」を合わせたり、宇宙に「青き美しきドナウ」を合わせたり、キューブリックの音楽感覚は、映像と音楽とをかけ離れた物を合わせるという非常に特異なやり方をしていて、しかもそれだからの凄さを出すという、天才としか言いようがない。普通にやったらただのミスマッチというところなのに。


2001: A Space Odyssey (1968) - 'The Blue Danube' (waltz) scene [1080p]

『時計仕掛けのオレンジ』の『雨に唄えば』のシーンは、吐き気がするほど嫌いなので貼りません。数年、『雨に唄えば』が聞けなくなったくらい。しかし、ミスマッチの恐怖という意味では、出色。

そういえば、『レオン』に『雨に唄えば』の映画を見るというシーンがあるのだが、掃除屋レオンの暴力性も裏にあるということを示していた? 裏読みしすぎかな。

フォロワー例『渇き。』

これ系で日本で凄かったのは、エヴァの『今日の日はさようなら』『翼をください』の童謡系もすごいけど。中島哲也『渇き。』(2014)が強烈かな。


渇き。 - でんでんぱっしょん -

暴力シーンとEDMアイドルソング合わせとか。でんぱ組ってのもあって、狂気爛漫。吐きそうになるのに、目と耳が離せない。

蛇足

ちなみに、英語の卑語を学ぶなら、これがおすすめ。


History of Swear Words | Official Trailer | Netflix

 

人種的蔑称であるGook

ちなみに書き起こさなかったが、Gookは東南アジア人に対する蔑称。(東アジア人向け、と書いてあるものもあったけど、日中韓にはそれぞれ蔑称あるんで)聞き取りづらいが、たまに言っている。

クリント・イーストウッドグラン・トリノ』(2008)でも、主人公が、隣に引っ越してきた中越あたり出身のモン族の家族に対して使っている。自動英語字幕だと伏字になるのね、流石に。


Gran Torino - How Guys Talk Scene (1080p)

民族的蔑称をお互いに軽く言い合えるというのは、小さい頃からの知り合いなどで、わかり合っている者同士という粗野な親しみ感を醸し出す。しかし、余所者に対する蔑称は、排斥としてしか聞こえない。それを危ういバランスの上で見せているイーストウッド監督の手腕が光る。

黒人映画でも、黒人同士がNワードを使うのは親しみの表現なのに、白人から言われたらその瞬間発砲されるレベルの、誰が誰にいうかというのは、関係性が非常に大事で繊細な問題として描かれているのがわかるので、要注意。 

最後に、蛇足ながら付け加えますが、蔑称は、(騙されて言わされたりしないように)知るだけだったらいいけど、絶対使ったらダメですよ。全然笑えないから。

 

ヤマシタトモコ『違国日記』(7) 祥伝社

この物語を読んでいると、自分の言葉だけで生きていけたらいいなあ、でもできないないなあ、それでも自分の言葉を紡ぐことは大事だなあ、尊いなあと思う。

Death Happens but never die youngという朝が着ているTシャツが好きだ。

ちょっと意訳になるが「いつかは死ぬけど、今じゃねぇ」と訳したい。売ってたら買う!

 

今回は、降りた人と、降りたくない人の話。

もうちょっと正確にいうと、自分が歩きたい道を進む人の話。

男らしさとか女らしさとか、社会人らしさとか学生らしさとか、親らしさとか子らしさとか、そう言ったものがある。

表紙になっている笠町さんは、エリート社員というコースを降りた人だ。

一般的には「敗者」レッテルを貼られてしまう。しかし、彼はそう言われたところで、おそらく動揺すらしなくなっただろう。「そこから降りて、逃げて、やっと人間になれ」た、と言えるのは、そういう無責任なステレオタイプ他者評価から自由になったのだと思う。

ステレオタイプ他者評価からの自由。

それから逃れるために、限りなく「空虚」になった人。

逃れはしないが、めんどくさいと思いながら、自分のスタンスは変えない人。

この7巻には、その視点でいろんな人が出てくるが、著者は別に誰が正解かを声高に叫ぶことをしない。

ただ、そのキャラクターの視点でその理不尽だったり嫌だと思っていることを描き、それに対抗してそのキャラが反応する。ただそれだけ。押し付けないので、読んでいて辛くない。

「キャラだから」って

言っているうちに自分が

本当はどうしたいのか

わかんなくなっちゃったもん

 って、本当に怖いことだと思うんだよね。

 

オリジナルが見つけられなかったので、本当に小津安二郎の言葉かどうかわからないが

どうでもよいことは流行に従い、重大なことは道徳に従い、芸術のことは自分に従う。

という言葉を思い出す。

『違国日記』を読むと、流行にも、もしかしたら道徳からも外れているかもしれないが、自分という芸術については、自分に従うしかないかもね、と言っているようにも思える。

そして、それを貫くのはツライことだと、正直に書いているのがいい。

確かにそれは、説教くさく言えば、「逆説の十箇条」になってしまう。

  1. People are illogical, unreasonable, and self-centered. Love them anyway.
  2. If you do good, people will accuse you of selfish ulterior motives. Do good anyway.
  3. If you are successful, you will win false friends and true enemies. Succeed anyway.
  4. The good you do today will be forgotten tomorrow. Do good anyway.
  5. Honesty and frankness make you vulnerable. Be honest and frank anyway
  6. The biggest men and women with the biggest ideas can be shot down by the smallest men and women with the smallest minds. Think big anyway
  7. People favor underdogs but follow only top dogs. Fight for a few underdogs anyway
  8. What you spend years building may be destroyed overnight. Build anyway
  9. People really need help but may attack you if you do help them. Help people anyway
  10. Give the world the best you have and you'll get kicked in the teeth. Give the world the best you have anyway

www.paradoxicalcommandments.com

 

以下、拙訳。

  1. 人は非論理的で、不合理で、自己中心的だ。それでも、人を愛しなさい。
  2. 良いことをすれば、何か下心があってのことだろうと責められるだろう。それでも、良いことをしなさい。
  3. 成功者になれば、偽物の友と本物の敵を得るだろう。それでも、成功しなさい。
  4. 今日良い行いをしても、明日には忘れ去られるだろう。それでも、良い行いをなさい。
  5. 正直で素直だと、傷つくことが多いだろう。それでも、正直で素直でいなさい。
  6. 気高い考えを持った素晴らしい人たちが、矮小な考えを持つ小者に撃ち倒されることもあるだろう。それでも気高くいなさい。
  7. 人は弱者を好むが、強者にしか従わない。それでも、数少ない弱者のために戦いなさい。
  8. 長年築き上げたものも、一夜にして崩れ去ることもある。それでも、築き上げなさい。
  9. 人が本当に助けを求めていても、助けるあなたが攻撃されることもあるだろう。それでも、人を助けなさい。
  10. 持てるものすべてを差し出しても、歯が立たずに絶望するだろう。それでも、最善を尽くしなさい。

いい言葉なんだけど、良すぎて、そんなことまではできないよね、というのが正直な感想。それでも、自分が自分であるということを、自尊心を持って叫んでいいんだよ、という、背筋の伸びる言葉として、響く。

特に第十条は、

誰のために何をしたって

人の心も行動も決して

動かせるものではないと

思っておくといい

ほとんどの行動は

実を結ばない

まして感謝も

見返りもない

(中略)

でも

そうわかっていて

なおそうすることが

尊いんだとも思うよ

という、高代槙生のセリフが、biggest men and women になれなかった凡人が、それだからこその努力をし、打ちひしがれ、それでも前を向いて歩いている人を尊いと思う良さだと思うんだよね。

 

上から、高すぎる意識を持てと脅迫するわけでも、下から、どうやってもできねぇよなと不貞腐れるのでもなく、できることを、地に足をつけてやっていく。絶望する時もあるし、うまくいって浮かれることもあるけど、あくまで、自分。

いいなあ、本当にいいなあ、この作品。

 

 

 

あfろ『ゆるキャン△』芳文社(既刊11巻)

こういう状態だと、アウトドアしたくなるのだが、その欲を程よく満たしてくれるほのぼのキャンプ漫画。

なんと言っても、キャラクターたちがいい。

悪い人はいない。キャラクターはみんなかわいい。主人公たちはかわいいし、親兄弟はかわいいし。通りすがりに多少の縁で触れ合う人も(犬も)かわいい。

アウトドアだから、風景がいい。

おそらくきちんとロケハンをして、魚眼レンズで風景写真を撮りまくって、そして見開きで富士山や海などの風景がドーン。気持ちいい。こまけーことはどーでもいい。気持ちいいーー。という感じになる。

大きな感情起伏ラインがないので、安心して「ゆるく」読んでいられる。

きちんと夜を越せるかな、などなどのアウトドアならではのハラハラドキドキはあるのだけど。感情起伏のダイナミックレンジが狭めにとってある。

 

とは言え、おそらくかなり自覚的に、大きな構造は練り上げられていると思う。

サニタイズがしっかりしている。

大きな感情起伏の要素となる恋愛系を外してある。家庭環境はよく、パワハラモラハラ毒親はいない。他人と触れ合うことで起こりうる距離感が全くない雑な他人は出てこない。冬キャンなので、虫や臭いなどのストレートに絵面として嫌なものは出てこない。

異世界ファンタシーか、というくらいのものだ。とても注意深い。

ひと昔の漫画だったら、コミュ障のキャンパーが、ふとしたことからグループキャンプに目覚めて、コミュ障が治ってウェイウェイできるようになってよかったね! になりそうなところだが、それがない。逆に、ソロキャンパーが、経験値の少ないグループキャンパーを無双していくというのも、ない。

ソロキャンプを否定するのではなく、グループキャンプも楽しいよ、という別のものとしてみんなが捉えているというのがすごい。ソロキャンもグループキャンプも否定しないどころか、両方が両方を肯定して、それぞれの良さを分かち合う。

そういう相互リスペクトがあるので、見ていて安心感があり、心地が良い。

もちろん、『ハウス オブ カーズ』みたいに、いつ誰がどう裏切るかわからないというサスペンスも楽しいのだけど、それとは楽しみ方が違うのだ。

アニメもseason2をやっていて、実写ドラマもseason2を春からやるみたいだし、メディアミックス(死語)激しいな。

と言いながら、どれもよく作られていて、原作リスペクトがあって、良いのです。

特に、実写版は、本物の良い風景が見られるので、おすすめですよ。

 

 

カルロ・ゼン、東條チカ『幼女戦記』(20)/KADOKAWA

ジャンルとして、異世界や戦記だけでなく、ダークファンタシーと称しているのが、このお話のミソだよなぁ。

 

幼女戦記(20) (角川コミックス・エース)

幼女戦記(20) (角川コミックス・エース)

 

 ハードさが同程度で、原作者が同じカルロ・ゼンの『売国機関』との違いはここにある。主人公を幼女にしてあるが故のダークさの際立ち。

売国機関 4巻: バンチコミックス
 

 

この20巻は、主人公だけが知る、未来の絶望を、読者とともに味わうという趣向だ。

世界大戦という概念のない異世界に、2度の世界大戦を経験したものが舞い降りたならどうなるのか。

彼ないし彼女は、悲劇の予言を行うカサンドラとして狂言回しをするのか。

いや、やれやれと第三者的にため息をつくことを作者は許さない。

世界大戦の闇の底無し沼のなかで、当事者として戦い足掻き、世界大戦の記憶のある読者とともに沼に沈んでいくことを、宣言するのが、この巻である。

世界大戦の行先が、最終的にはどうなるか、我々は知っている。

しかし、当時の人は知らない。知るわけがない。構想しうるわけがない。

IWMで塹壕のレプリカの中で、現実は、砲弾の煙に覆われた空、吹き込む雨と泥濘、戦車の無限軌道の軋み、ボムシェルにやられた同僚と、同僚だったものが転がる足下がスーパーインポーズされるのだと悟った、その絶望を数万倍にもなるものが、ターニャには去来しているのだろう。

今までは、この異世界で唯一世界大戦を知っており、その使い方を知っており、そしてそれを最大限に利用することができるという、異世界無双もののみが行使できるチートの限りを尽くしたその先に、それでもなお、どうしようもない壁をみることを、絶望と言わずして、なんというのか。

ファンタシーはフィクションである。魔導というものは、この世に存在しない荒唐無稽なものである。だからこそ、気軽に摂取し、現実世界で気分の悪い時に逃げ込める癒しなのだが。

20巻まで読んで、私はターニャには大変同情している。感情移入している。

この濃さから言えば、二十から三十巻かけて、敗戦まで戦いは紡がれるのであろう。

荒唐無稽痛快無比を楽しんだ後は、彼女が最後どうなるのか。物語の目撃者としては、それを最後まで見届けなければならん。元の世界では得られなかったチームを得られたということで、大戦の敗戦という歴史の舞台とは別の、彼女にとっての何がしかの勝利を持って、物語が終わって欲しいと、願うばかりだ。

 

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