東京では初めての個展。110点ほど展示されている。私はリヒターってよく知らなかったので、概要が掴めてよかった。
richter.exhibit.jp
配られるパンフレットも、作成年代によって色々あるキーワードの簡潔な説明があって、初心者である私にはとても嬉しかった。
いいなあ、リヒター。
没入感
特に、でかいのがいい。目の前いっぱいに聳えるように、IMAX のように壁いっぱいに使って。
意味はあるかもしれないし、ないかもしれない。自分は絵を描く人でもないので、どういう技術でこうなったのか考察するなんてできない。ただ、抽象的な絵の前にじっといて、自分がここから何を見出すのかを感じていく。
小さい作品の場合は、他のものも目に入ってしまうので、そこまで没入することはない。だから、大きくて、抽象的なものがあれば、そこにある美を純粋に楽しむことができる。
この見方が正しいかどうか、わからない。キューレーターのコメントを読むのは楽しいけれど、それは事実としてはいい情報だけど、それによって自分がどう感じるかは、自分だけのものだ。
という没入感を得られたのが、今回一番楽しかったこと。
カラーチャート
抽象画と具象画は、前者がベクター で、後者がラスタみたいという印象。引き伸ばした時に、極端にいうと、ただ引き伸ばすだけでOKの抽象画に対し、具象画は、細かい書き込みをしていかないといけない。そうなると、具象画は大きい意味がないと大きな号数で描いても、そんなにそそらないのかも。『ナポレオンの戴冠式 』なんかは、大きいけどそれだけの意味があると思うし。
かといって、モンドリアン のようなものって、あんまり大きくはない。リヒター展の『カラーチャート』はとても大きかった。大きくても、退屈しない。ただ引き伸ばしただけだと、こうは行かないのかもね。
テートモダンのモンドリアン
今回展示があったカラーチャート
ビルケナウ
これは、アウシュヴィッツ 第二強制収容所 「ビルケナウ」/ Das Konzentrationslager Auschwitz-Birkenau のこと。
代表作である『ビルケナウ』 (2014) とその元となったゾンダーコマンドによる写真の上に、リヒターがペインティングを施している。
『ビルケナウ』とその元の写真を同時に見ることができたのは、なかなかレアな体験だった。ゾンダーコマンドのことは、以下の映画『サウルの息子 』 (2016) で知った。辛そうすぎて、見ていない。
VIDEO www.youtube.com
nimben.hatenablog.com
英国の帝国戦争博物館 の4Fがホロコースト に関するもので、ゾンダーコマンドの写真を見た時には、これを思い出した。命懸けで隠しカメラで撮った映像の被写体が、あれ、というのは。藤原新也 『メメント・モリ 』の場合は、人の一部が野犬に加えられて持ち去られようとしているという非常にセンセーショナルな写真だった。ゾンダーコマンドのこの写真は、殺された死体がただ無機的に積み上がっているという、絶望よりもひどい無という感じ。
リヒターは1932年生まれの90歳。東独ドレスデン 生まれ。第二次世界大戦 が終わったときは13歳だから、ナチス の台頭とユダヤ 人差別は物心ついているはず。1961年、ベルリンの壁 ができる前に西独デュッセルドルフ へ。
このため、ナチス 、共産主義 ドイツ、自由主義 ドイツの全てを体験しているということになる。
フォトペインティング
それとは別に、フォトペインティングという手法で、あえて写真をぼかして油絵で描くというやり方。
近くで見るとぼんやりしているが、遠くから見るとパッきりと見えるというのは、ベラスケス『マルス 』 (1638) などがやっていて、印象派 の祖先とも言われる。
By Diego Velázquez - See below., Public Domain, Link
#プラド美術館 蔵なので、もちろんこれは来ていない。
近くで見ても精密に描いてあるのに、絵としてはぼんやり(Blur ) しているように書くというのは、ぼんやりしているものを自分の脳の中で何か焦点を合わせようとする動きを狙っているかのように、絵が絵として完成されているというよりは鑑賞者の脳とのインタラク ションを通じて完成させるような、そんな複雑なことを考えていた。
クイズを出されると、意味もなく解いてしまいたくなる、そんな気持ちを利用されている、というか。
おまけ:モネという補助線
nimben.hatenablog.com
モネ『睡蓮』を連想させるようなものもあって、関係性を妄想するのも楽しい。
おまけ:現代アート をどう見るかは難しい
今に生きる我々にとって辛いのは、現代美術作品は多くの場合過去に作られたもの、ということだ。フォービズムもキュービズム もシュールレ アリズムも、20世紀中盤のものだ。今から振り返ってみたときに、何がエポックメイキングだかよくわからないという点が、特に辛い。さらに、現代美術はいろんな社会的なコンテクストが必要とされる場合が多く、特に同時代でないものについて、それを調べ上げて理解するのは難しい。頭ではわかっても、腹落ちしないことも多いので。
このため、美術評論家 ではない私は、それを見た時に何を感じるのか、というとても個人的なものとして、作品と対峙することにしている。名匠の作品を古ぼけたものと認識することもあるし、コンテキストを読んでいないために興味をそそらないということもあるが、それはそれで仕方がない。