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見たものと、読んだもの

ペク『ビューティー・インサイド』2015韓国

Netflixにあったので見ました。ラブコメかと思ったけど、純愛映画でしたね。


映画『ビューティー・インサイド』日本オリジナル予告編

 

設定と総論

起きるたびに別の人になっている男、という設定だけで百億点というのは変わらず。

二時間ちょっとあるので思ったよりも長い映画でしたが、ダレ場がなくてよかった。*1

デートもしないと恋にならないだろう、どうやって好きになるのかと思ったら、男性主人公のキム・ウジンの涙ぐましい努力があったのね。いやー、それは若いからできるけどしかしまあ無茶なことを。どストレートな純愛映画じゃないですか。

ドタバタコメディとして作ろうとすれば、いくらでもやりようはあったろうに、その道を監督は取らなかった。そしてそこに私は好感を覚える。

 

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純粋で、稚拙なウジン

男性主人公であるキム・ウジンは、自分の顔が変わるという「気持ち悪さ」に社会的に現実的な適応しているように思える。内面では適応できていない。というかそれが他人にどう影響を与えるか、深くは理解していない。当たり前だ、世のすべてから毎日他人扱いされるんだから、敢えて晒しながら生きるなんてできないよ。それで保存される、深いトラウマと、一途だが稚拙なままの人間関係構築能力。

だから、イスに対して、とても無邪気に接する。場合によってそれが凶器となる。イスに対して残酷だ、という面が一部見える。

純粋で、聖女なイス

女性主人公をホン・イスを演じたハン・ヒョジュは、かわいくて一途。インターネット調査で嫁にしたい女優一位になったことがあるのも頷ける。

恋人の顔が毎日変わる。年齢も性別も人種すらも。そうなった時に、この人は本当にウジンなのかと受容していくのは、本当に大変だ。毎日積み重なる受容の疲労。「毎日違う男とデートしている」と言われる。話しても信じてもらえないことを知っているから、それをスルーし続ける疲労疲労という犠牲を続けることができるかどうか。

昔の映画なら「聖女」として受け入れ続ける一択だろうけれど、これは現代の映画だ。イスの決断は映画をごろうじろ。

この映画はもちろんおとぎ話なのだけど、だからこその普遍性を持つ、恋と愛を隔てる境界とは何か、という疑問の提示のような気がする。

この人と結婚するのかもなあと思った二人が、二人っきりでみるにはいい映画かもしれない。話が合わなくて別れる羽目になるかもしれないけど。

その他

上野樹里がウジンとしてちょっと儲け役で出てる。きちんと中が男性だとわかる演技で素晴らしかった。

でも名前の「イス」って、日本語の「椅子」とかけてるよね、絶対。ウジンが家具職人だし、椅子作ってるし。「あなたにぴったりの椅子」ということを言いたかったのかもしれない。というダジャレ脳発言をしてみる。

 

  

nimben.hatenablog.com

 

今年同名の韓国ドラマがあるらしいが、全然違う話ですね。こういう時、同名にしてもいいんかいな。

 

*1:自分ならここはこうカットしてもうちょっと短くしたという部分はなくはない。しかしこれはそうすると別の映画になりそうな気もする