前回の感想で、こんなことを書いた。
朝の、たまにちょっとおバカさんかもと思う時もあるけど、てらいなく人に質問をぶつけることができる、という点に対して、私はすごく尊敬する。
今回は、あえて言えば「才能」って何、かな
やばい、あの槙生さんもそう思っていたのか! という衝撃。
あなたの明るさとか
お喋り
…ひとからの好意をきちんと受け取れて
受け取らなくていいところは受け流せるところ
……ほかにも挙げていけばいろいろあるけれど
……そういうものがわたしにとってどれほど欲しかったものか
想像がつく?
わたしには、血を吐くような独白にも思えるんだけど、それを雑に受け流しちゃう朝もまた良き。
自然と自分というもののままでコミュニケーションできる人って、こんな感じだよなあと思う。本当に、羨ましい。しかしそれは自分で当たり前に持っている人には、ピンとくるはずもないという断絶が、うまく表されているなあと、泣きそうになる。
魅入られてしまって、気がつくとやってしまうことを才能というしかない、という考え方は、最終的にはそうですよねえ。若き天才が、途中で止めて、消えていくというのは、特に芸術世界ではたくさんある話で。だから「最初は才能がないひとだと思っていたが、止めないで続けていって、最終的には巨匠になった」というのは、多分、才能という意味に二つの側面があるということなんだろうと思う。センスの良さと継続。この二つの掛け算して、運も良ければ巨匠という結果になる。
才能という単語の意味が広すぎ問題、だね。
コンポジションとして
なんか毎回なんらかの実験をしていて面白い。
前から、複数同時進行的な書き方をして、ちょっと映画っぽいと思ったことがあったが、今回は、固定カメラという、マンガとしては手を縛ったところでの表現をしていたり。コマが大きく小さく配置できるのが、マンガが映画という固定サイズスクリーンに対する強みだと思っているので、これはかなりセンスが問われる。しかも、固定カメラの置き方がすごいんだよね。これで、「あえてリアクションする相手の表情を描かない」ということもできるし。
とはいっても、ファンタジックに心象風景を砂漠として表現したり、というのも出てくるし。
いい意味で、やりたいほうだい。