cafe de nimben

見たものと、読んだもの

クリムト展 - ウイーンと日本1900 @東京都美術館

クリムトを生で見るのは初めて。

素晴らしかったです。

 

特設Webサイト

https://klimt2019.jp/

 

東京都美術館のサイト

www.tobikan.jp

ユディトⅠ

Gustav Klimt 039.jpg
By グスタフ・クリムト - http://www.belvedere.at/en/sammlungen/belvedere/jugendstil-und-wiener-secession/gustav-klimt, パブリック・ドメイン, Link

1901年 油彩、カンヴァス / ベルヴェデーレ宮オーストリア絵画館

84×42cm なので、そんなに大きくない。大作かと思っていたんだよね。

クリムトのこの作品は、異様に書き込まれた黄金の首の文様とユディトの蕩けるような顔。ホロフェルネスの顔はほとんど見えない。有名な絵の流れからしても、異様な作品。20世紀は始まっているが、世紀末的退廃が漂う。エロスとタナトス

元ネタのユディト記

アッシリアの王ネブカドネザルが、ユダヤに侵攻。アッシリア軍司令官ホロフェルネスは、ユダヤのベトリアを包囲。その町の美しい寡婦ユディトが、ホロフェルネスを酔い潰し、首をはねる。動揺したアッシリア軍をユダヤが追い払う、というのが旧約聖書のユディト記のお話。

1472年ごろ。ボッティチェリ『ユディトの帰還』 

Sandro Botticelli 020.jpg
By サンドロ・ボッティチェッリ - The Yorck Project (2002年) 10.000 Meisterwerke der Malerei (DVD-ROM), distributed by DIRECTMEDIA Publishing GmbH. ISBN: 3936122202., パブリック・ドメイン, Link

敢然と敵司令官と対峙し、勝利を収めた誇らしさと凛とした意志を感じる。

 

1530年のクラナッハ作のユディト

Lucas Cranach d.Ä. - Judith mit dem Haupt des Holofernes

Lucas Cranach d.Ä. - Judith mit dem Haupt des Holofernes (Staatsgalerie Stuttgart).jpg
By ルーカス・クラナッハ - The Yorck Project (2002年) 10.000 Meisterwerke der Malerei (DVD-ROM), distributed by DIRECTMEDIA Publishing GmbH. ISBN: 3936122202., パブリック・ドメイン, Link

なかなか無表情。ホロフェルネスの首の肉の盛り上がりがリアルで気持ち悪い。

首取りましたので、ちょっと記念撮影というような、軽い感じが怖い。

 

1598-99ごろのカラヴァッジォ作

Judith Beheading Holofernes by Caravaggio.jpg
By ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ - http://www.ibiblio.org/wm/paint/auth/caravaggio/judith.jpg, パブリック・ドメイン, Link

スカーレット・ヨハンソンに似ているこのユディットだと、腰が入っていないから首が切れなさそうではある。お付きの老女の方が強そう。とはいえ、それ以外はカラヴァッジォらしいテネブリズムがリアリティを添える。

なんでこんなに腰が引けたように描いたんだろう、ホント。 

 

 

しかし、全然みなさん作風違うのね。

ヌーダ・ヴェリタス(裸の真実)

Nuda Veritas by Gustav Klimt, 1899, oil on canvas - California Palace of the Legion of Honor - San Francisco, CA - DSC02764.jpg
By Daderot - Own work, Public Domain, Link

これは、大きい。244×56.5cm

ユディトの顔にも共通する、ぼんやりとしている二次元的な体、青と金の組み合わせが美しい。

 

 


【クリムト展】《ベートーヴェン・フリーズ》CG映像

第九、フルトベングラーとは、わかってらっしゃる。

凍れる音楽という感じ。リズムとか、合唱の様子とか。五線譜を絵に書き起こしたような。とはいえ、音楽的な部分を一旦停止してみても、これまた美しい。

 

 

 

特別展「国宝 東寺-空海と仏像曼荼羅」 @東京国立博物館 平成館

『阿・吽』以来、私の中で空海がブームなのだが、東寺も重要ポイントですね。

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割と昔からお寺さんは好きで、その中でも東寺は雰囲気が好きなのと京都駅から近くて便利が良かったので、よく行っていました。今回はそのときわからなかったことを知ることができるという、とても良い機会でした。


東博のページ

www.tnm.jp

特設ページ(数ヶ月後にはなくなっているかも)

toji2019.jp

 

一番楽しかったのは、立体曼荼羅の中を歩くこと

どうしても、正面から見るだけになりがちなのですが、仏像の間を縫うように歩けるというのは良かった。

 

第1章 空海と後七日御修法

第2章 真言密教の至宝

第3章 東寺の信仰と歴史

第4章 曼荼羅の世界

 

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日本橋ヨヲコ『少女ファイト』講談社

気にはなっていたんですよ、この作品。

Kindleで3巻まで無料。まとめ買い(現在合計15巻。未完結)が20%オフだったので、これを機会に購入。

もっと早く買っておけばよかった。

 

 

楽しいには二種類ある。

ほんわか〜とした日常系なものと、自分が目指す高みに向かって何かを犠牲にしてでも勝ち取る喜びという激しいものと。『少女ファイト』は、圧倒的に後者だ。しかし、スポ根というのはちょっと違う。根性がないとできないことはしていると思うが、行動は根性というガソリンで、最新のメンタルのテクニックも含めて動いている。

 

子供は年齢よりもオトナなことはあるし、大人は年齢よりもコドモのことがある。

というか、年齢関係なしに、これについてはオトナ、これについてはコドモという多面体なのだと思っている。

人から見て大人なのか子供なのかというのは、役割による色眼鏡でそう見ていているだけで、本質は、変わらないのかもしれない。というか、変わろうとしない限り、変わらないのだと思う。(変わろうとしても、変われないことも、変わりたいのとは別の方向に変わってしまうことも、ある)

 

犬神鏡子というキャラクターがいる。

主人公の大石練が在籍する黒曜谷高校女子バレー部のキャプテンである。

彼女は、とても大人に見える。喘息による虚弱体質からワンローテしか保たないながら、試合を支配するセッター。ワンローテしか出ないくせに、各部員の最高到達点などを全て把握した上で、ベストなトスをあげるというバケモノ。そのオトナな気遣いが彼女のキャプテンシーを支える。

が、彼女とて高校二年生なのである。

細かくはネタバレになるから書かないが、幼稚に動揺するシーンもある。それが極端に触れるのが思春期というか高校生というかというのはあるかもしれないが、いやいや、大人になってもそうは変わらないよ、と思えるところがこの作者の芯なのだろう。

この前の作品である『G戦場ヘブンズドア』は、創作をする人の業を描いたすごい作品なのだが、どちらかというと如何しようも無い「情」を描いている。たった3巻なのだが、すごい密度で、知恵熱が出そうなくらいだ。

  

悩んだ時、何かに囚われてしまった時、この作品を読むと元気になれる。

名言が多いし、多分これは、『G戦場ヘブンズドア』のあとで、あの三人が大人になる過程で学んできた言葉なのだろうという気がする。

 

3巻P111 小田切

どうにもならない

他人の気持ちはあきらめて

どうにかなる自分の気持ちだけ変えませんか

少しずつでいいんで

4巻 P84 小田切

人に誤解されるのが

慣れるわけないですよ

9巻

P121 笛子監督

いいかいつでも行き詰まったら
整理整頓して掃除に励め

そうすればおのずと心も安定してくる

 

P123 大石真理


わたしたちは
嫌なことがあっても
自分の気持ちだけは
選ぶことができます

まじめに
嫌な気持ちを
選ぶことは
ないのです

姉ちゃんは
本当の強さって
体型や能力ではなく
変化していける
ことだと思います

自分はこうだと
決めつけないでね

練ならできるよ 

 

P183 黒曜谷高校女子バレー部のコピー

memento mori

vita brevis, ars longa

 

P191 式島未散

自分で自分を
許せなくなる
くらい
気高い激しさを
もったやつが
好きなんだよ

 13巻 しの

私が自分で傷ついたって認めない限り
誰も私を傷つけられないわ

15巻 P50 由良木コーチ

いいか春高は人生の縮図だ

理不尽な不幸も仕組まれた罠も
普通にあって当然なんだよ

多くの人間が関わってりゃ
トラブルは必ず起こる

万全の態勢で戦える機会なんて
Vリーグでもオリンピックでも
ほぼねぇぞ

感情が揺らいだら
すぐに呼吸を整え
リラックスして
姿勢を正し
常に体を動かせ

この戦場で
負の連鎖に
巻き込まれるな

P51

笛子監督

怒りでお前の知性を消すな。

試合中は不要な憶測をせずに

チームに必要な情報を取捨選択しろ

それが司令塔(セッター)の役割だ

お前の言葉は力がある

慎重に使えよ

 

P127 知花

愛し合う人との
お別れは
永遠に続く関係を
手に入れたのと
同じ

もうこれ以上
厚子ちゃんは
お母さんを
なくさないし

はじめから
なくして
ないのよ

 

15巻P178 蜂谷

自分の感情は
自分で処理
するしかない!

だからあんたが
相手の感情に
責任をとる
必要はない!

よそはよそ!
うちはうち!

たとえそれが
仲間同士で
あっても!

他者と自分はあくまでも別のものと諦め(明らめ)、自分がコントロールできるものだけに集中し(マインドフルネスと、ニーパーの祈り)、自分が目指すゴールに集中する技法でもあるなあ、と。

まあ、これを高校生でできたらバケモノのような気がするけど、世界を目指すアスリートなら、やっているのかもしれない。

さて、連載が佳境を迎えるみたいなので、あと数年、ドキドキしながらお付き合いするか。 

原三渓の美術 @横浜美術館

三渓なる人物を知らなかったのだが、孔雀王は大好きということで行ってみたが、いやいや大コレクターですね。下村観山の生活の面倒も見るとか、パトロンでもあり。

アーティストとしての原の、白蓮はなんとも穏やかで静謐で、夏の朝の夜明け直後のような爽やかさ。ああいうのを一幅置いて、お抹茶をいただくと気持ちよさそうです。眼福でした。

 

孔雀明王像 

今は東京国立博物館に所蔵されている国宝の『孔雀明王像』(平安時代

Kujaku Myoo.jpg
By 不明 - uwEm0Ca3wrGrww at Google Cultural Institute maximum zoom level, パブリック・ドメイン, Link

 

平安時代のものにしては紙があんまり茶色く変色していなくて、くっきり綺麗でした。

遠くから眺めても、近くから詳細をみても、どちらも美しい。

円山応挙『中寿老左右鴛鴦鴨』

顔の精密さ、鳥の精密さ。精密なのにいい構図。いいバランス。

原三溪の美術 伝説の大コレクション | 取材レポート | インターネットミュージアム 

本阿弥光甫(空中斎)『梅に鶯図』

小ぶりな作品だが、鉛直に立ち上がる二本の枝が、にょほっとしていてよい。

クスッとまろやかな気分でお茶をいただけそうな掛け軸。

下村観山『大原御幸』

ただ美しい。精密さと彩色と、省略と。

ima.goo.ne.jp

 

久住守景『加茂競馬』

これ1番好きかも。楽しげな笑い声が聞こえる。先行する馬が振り返ってるのは、煽っているのかな?

当たり前だが、ベジェ曲線ではかけない主線

馬の博物館

 

色々あって楽しいのと、展示替えが多いので、近ければ何度か行かれると吉かも。再訪割引あるようですし。

 

コレクション展

コレクション展も良かった。

いきなりセザンヌで始まって、いろいろ。

イサム・ノグチ、ダリ、ピカソマン・レイなど。

奈良のこんな大きいのも初めてかな。

 

写真も充実してた。

沢田教一の写真、初めて生で見たかも。

木村伊兵衛はきちんとまとめて見てみたいなあ。

スペイン内戦とか、ノルマンディー上陸とか、ロバートキャパも初めてかもしれない。

有名なヤツだと、戦勝が決まってニューヨークで水兵さんが女性とキスしてるヤツあった。

ドイツ占領中にドイツの見方をしたとして糾弾されるフランス人女性の図を見て、『愛と哀しみのボレロ』を思い出すなど。

 

具象図を見て、写真を見て、抽象図を見ると、写真があるのにあえて絵なのはなぜか、という問いが常に頭の片隅で鳴る

 

今のところ、抽象画を描くのは、具象から何かを取り出してチャンクアップした時に、それを純度高く定着する手段だと思っていて。

その、言葉にも形にもできない何かに対峙して浸るのが好き。

なので、抽象画は抽象画の作者の頭の中を想像するという、不可能な対話なのだ。

だから、ノイズはいらない。

ロスコールーム行きたいな。

 

 

 

 

塩田千春展:魂がふるえる@森美術館

塩田千春の展示は、『不確かな旅』の写真のイメージが峻烈だった。が、生で観ると別のもののようだった。

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入り口からなるべく全体を撮ってみる。天井の高さも活かされていて、人が赤い糸の渦に飲み込まれているようにも見える。

照明も赤い糸越しになるので、空間全体がほんのり赤い。森美術館の公式ページにある2016年版の写真は、壁や床がもっと白い。これが、一本の線の持つデジタルな赤さと、複数連なった時の赤さの深みと、透過してきた光による浅い赤さと、という赤さのアナログな重層感と統一感。そこにいる観覧者という異物感という、居心地の良さと悪さを一緒に感じる。

 

部分だけ切り出すとこんな感じ

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写真の時は、草間彌生に通じる露骨な生存欲のように思っていたのだが、生で観ると、人が人の形を失って天に還る様子のように思えた。糸の赤さが血を連想させたのかもしれない。

一度そう見えると、糸はこの世とあの世をつなぐ何かのように見えた。(この世の人と人をつなぐものに見えないというのもまた面白い)『静けさのなかで』で燃えて自らは立つことができない椅子が、糸によって生前の形で立っているのも、亡霊のように見えてしまう。

『静けさのなかで』

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なぜだろうすごくネガティブに、あの世からの因果律のような、自分をマリオネットのように操ろうとする糸のようにも思えた。糸の色が黒いからだろうか。あるいは先にボルダンスキーをみているせいだろうか。

逆に、白い糸だとどうなるのだろう。でも糸が見えるためには部屋が黒くなければならず、となるとやはり闇を感じてしまうのかもしれない。

 

『集積―目的地を求めて』

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個人の記憶がバッグに詰められて、あの世に還っていくように見えた。カバンが不規則に動くのも、目で見る心音のように感じた。

 

死を読み取ってしまったのは、作者もガンが再発しているということがわかった中で作っていった作品群ということもあるかもしれない。

ただ、死に対して「生きていたい」「まだ死ねない」という怨念じみた感覚は感じなかった。ただ、運命というもの、メタに解釈したらこんな感じになるのかもという冷静さと、死ねば今まで生きていた私という存在はどうなるのかと、統一的ではない混ぜこぜになった見解が多面的に見えてくるような、感じだった。ボルダンスキーを直前に見ていなければ、また別の感情が起こったかもしれない。

 

併せて観てみて

東京という街は、美術館的意味ですごく恵まれている。美術館をハシゴできるのって、なかなかない。

www.mori.art.museum

bijutsutecho.com