cafe de nimben

見たものと、読んだもの

塩田千春展:魂がふるえる@森美術館

塩田千春の展示は、『不確かな旅』の写真のイメージが峻烈だった。が、生で観ると別のもののようだった。

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入り口からなるべく全体を撮ってみる。天井の高さも活かされていて、人が赤い糸の渦に飲み込まれているようにも見える。

照明も赤い糸越しになるので、空間全体がほんのり赤い。森美術館の公式ページにある2016年版の写真は、壁や床がもっと白い。これが、一本の線の持つデジタルな赤さと、複数連なった時の赤さの深みと、透過してきた光による浅い赤さと、という赤さのアナログな重層感と統一感。そこにいる観覧者という異物感という、居心地の良さと悪さを一緒に感じる。

 

部分だけ切り出すとこんな感じ

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写真の時は、草間彌生に通じる露骨な生存欲のように思っていたのだが、生で観ると、人が人の形を失って天に還る様子のように思えた。糸の赤さが血を連想させたのかもしれない。

一度そう見えると、糸はこの世とあの世をつなぐ何かのように見えた。(この世の人と人をつなぐものに見えないというのもまた面白い)『静けさのなかで』で燃えて自らは立つことができない椅子が、糸によって生前の形で立っているのも、亡霊のように見えてしまう。

『静けさのなかで』

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なぜだろうすごくネガティブに、あの世からの因果律のような、自分をマリオネットのように操ろうとする糸のようにも思えた。糸の色が黒いからだろうか。あるいは先にボルダンスキーをみているせいだろうか。

逆に、白い糸だとどうなるのだろう。でも糸が見えるためには部屋が黒くなければならず、となるとやはり闇を感じてしまうのかもしれない。

 

『集積―目的地を求めて』

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個人の記憶がバッグに詰められて、あの世に還っていくように見えた。カバンが不規則に動くのも、目で見る心音のように感じた。

 

死を読み取ってしまったのは、作者もガンが再発しているということがわかった中で作っていった作品群ということもあるかもしれない。

ただ、死に対して「生きていたい」「まだ死ねない」という怨念じみた感覚は感じなかった。ただ、運命というもの、メタに解釈したらこんな感じになるのかもという冷静さと、死ねば今まで生きていた私という存在はどうなるのかと、統一的ではない混ぜこぜになった見解が多面的に見えてくるような、感じだった。ボルダンスキーを直前に見ていなければ、また別の感情が起こったかもしれない。

 

併せて観てみて

東京という街は、美術館的意味ですごく恵まれている。美術館をハシゴできるのって、なかなかない。

www.mori.art.museum

bijutsutecho.com