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見たものと、読んだもの

原作田中芳樹・作画伊藤勢『天竺熱風録』全6巻

中国は唐の時代。貞観21年というと、647年。(日本は飛鳥時代大化の改新の始まりとなる乙巳の変蘇我入鹿暗殺)が645年)

こんな時代に、中国から北インドに外交官として行き、捕らえられ、部下を置いて逃げ出し、文官にもかかわらずネパールから軍を借りて7,000人対70,000人の戦いを仕掛けて、部下を取り戻すという、一大スペクタル。

面白いのが、これ、史実に基づいたフィクションってこと。え、こんな映画みたいなことってありえるの?

原作者は『銀河英雄伝説』『アルスラーン戦記』の田中芳樹

これで面白くわけはないでしょう。

伊藤勢の作画は、なんといっても人物建物のデッサンが狂っていないので、見ていてノイズがない。

その上で、気持ちのいい嘘をつく。

第一話の軍馬ならぬ軍犀! サイです。これが煌びやかな軍服を着せられて筋肉モリモリの武将が敵として出てくるわけだ。アクションものは、敵が悪くて強くないとつまらない。一発目から、ヤバい、勝てん、負けちゃうの主人公? というこの掴み。

敵も味方もキャラが立っていて良いです。

丁度いい長さの全6巻!

歴史アクションがお好きなら、ぜひどうぞ!

 

田素弘『紛争でしたら八田まで』(既刊5巻)

チセイは、地政と知性。

地政学の知識、数ヶ国語を操る知性、そして交渉とはwin-winであることと、それを信じさせる裏付ける力(暴力を含む)であることを知って動くと言うチセイを元にした八田さんのお話。現代が舞台。

いろんな国のいろんな事情、それに振り回されたり振り回すことを考える個人の話。

八田さんの人となりはずいぶん開陳されてきているが、なぜこの仕事をしているのか、という "why done it?" は開陳されていない。ここが背骨になるだろうから、これからも楽しみだ。

 

紛争のフェーズ

さて、地政学的な紛争地帯に出向いて交渉して解決するのが、八田百合の仕事。

紛争といっても、小規模戦争までいっていない。いつ着火するかわからないが、まだ個人レベルに近い状態。なので、芝村裕吏マージナル・オペレーション』主人公のアラタのような民間軍事会社で軍事戦闘を行う人とは立場が異なる。

『紛争でしたら八田まで』も『マージナル・オペレーション』も、前線に出て実戦を行うという意味でローレベルなのだが、使う武器以外にも、投入されるべきフェーズが異なる。

基本的に戦争は先に殴ったものが悪い。なぜなら世界は平和で、戦争という人殺しをするのは、悪人が行う事だから、とされている。このため、戦争は外交を行ったにもかかわらず、双方折り合いがつかず、武力を持って解決するという、交渉の最終形態という形を取る。

第二次世界大戦のような総力戦の形は、現代ではなかなか取れない。やれば人類が滅びかねないので。となると、

  1. 折り合うための交渉 (基本はここがずっと行われる)
  2. 決裂したら局所武力行使
  3. 武力行使後の力関係の変化によっての交渉 (1ないし2に戻る)

八田が交渉人として関わるのは、1のフェーズ。アラタは、2の武力行使フェーズの人間。

 

紛争の定義

しかし、八田が行う話って、「紛争でしたら」という割と規模が小さくない? と思って調べてみた。

「紛争」Wallensteen(2002)によると、一般的に「紛争」とは、「少なくとも2つ以上の主体が、希少な資源(富や権力など)を同時に獲得しようとして相争う社会状況」と定義される

https://www.jica.go.jp/jica-ri/IFIC_and_JBICI-Studies/jica-ri/publication/archives/jica/kyakuin/pdf/200703_dev_02.pdf

『紛争終結国の平和構築に資する インフラ整備に関する研究』

平成18年度 独立行政法人国際協力機構 客員研究員報告書

吉田恒昭 (東京大学大学院新領域創成科学研究科国際協力学専攻 教授)

紛争とは、狭義では武力紛争を指すが、武力紛争に至らない暴力や、力の行使に至らない意見の相違、利害対立なども包摂する広義の紛争を想起することもできる。長谷川は、「紛争は対立関係がさらに進んだ段階であり、複数の当事者が目標の両立不可能性を意識し、しかもなお相互に両立不可能な目標の達成を動機化し続けているような社会関係ないし社会過程である。」と定義している

https://www.jica.go.jp/jica-ri/IFIC_and_JBICI-Studies/jica-ri/publication/archives/jica/kyakuin/pdf/200103_05.pdf

『紛争と開発』

平成12年度独立行政法人国際協力機構 客員研究員報告書

佐藤安信(名古屋大学大学院教授(当時))

 

ということは、武力闘争が起きなくても紛争は紛争だが、社会規模ということを考えると、八田のそれはまだグループや個人規模で、社会規模ではないような気もするが、これはこれから語られる話なのかしらん?

紛争/戦争の規模

草野昭一『21世紀の戦争』愛知県立大学大学院国際文化研究科論集第18号(2017)という論文の中に、II「人間(ジンカン)戦争(war among people)> ⑵ 紛争多発の背景」という項目が参考になる。

https://core.ac.uk/download/pdf/228945089.pdf

貴重な資源、奪い合うグループ、海外からの支援、人道支援などなどが混じり合い、狐と狸の化かし合いが起こり、最終的には流血に至ることが簡潔にまとまっている。

戦争の定義は随分変わってきていて、太平洋戦争の時の知識だとまるで役に立たないなぁという感じ。

 

例として出てくる、シエラレオネの紛争ダイヤモンド> エドワード・ズウィック監督『ブラッドダイヤモンド』(2006)


www.youtube.com

 

さて、八田が扱った紛争

第1話:UK(バーミンガム

第2話〜第4話:ミャンマー

第5話〜第9話:タンザニア

第10話:幕間

第11話〜第14話:UK

第15話〜第20話:ウクライナ

第21話〜第22話:日本

第23話〜第31話:インド

第32話〜第36話:アイスランド

第37話〜(継続中):USA

 

世界中飛びまくり。

ミャンマーは、現在進行形で内戦状態になってしまった。

インドは、中国からのワクチンを受け入れることによって、中国 vs 米印という構図が崩れかねなくなってきた。

どんどん状況は変わっていく。

さて、それに対して順応していく八田の未来は、どうなるのか。続刊楽しみです。

 

芥見下々『呪術廻戦』15巻

渋谷事変編。

 

呪術廻戦 15 (ジャンプコミックスDIGITAL)

呪術廻戦 15 (ジャンプコミックスDIGITAL)

 

いろんな描写がオマージュと言うところに目を奪われるが、描きたい本質はどこにあるんだろう、とか考える。

虎杖が考える「正しい死」が皆に等しく訪れるのは理想だが、別に呪術に限らなくても

交通事故や通り魔などで、人の命はいつだって理不尽に消える。

 

もちろん、ジャンプと言う掲載誌のことを考えると、物語よりもキャラだよね、と言うことになるし、少年誌として、壁があってそれを乗り越える話、と言う話になる。

以下のBBCのニュースの分析は面白いんだけど、これって書き下ろしの分析には向くけど、連載で、常に障害⇨解決⇨次の障害で繋いでいく話と言う解釈とは別だよねぇ。連載途中じゃ、下手すると結果が上昇で終わるか下降で終わるか決まっていない可能性あるし。

www.bbc.com

ということで、渋谷事変がどう終わるのかわからないので、内容については一つも触れずに終わる。

おかざき真里『かしましめし』4巻

どうしても一時的な再集合に過ぎないシェアハウスというか居候生活が、終わろうとしているのかな。

癌の受容段階として、「1.否認⇒2.怒り⇒3.取引⇒4.抑うつ⇒5.受容」というのが知られている。例えば、

  1. いや『癌』なわけないでしょ
  2. 私が『癌』になるのはおかしい。あり得ない
  3. ねえ、なんとかして『癌』でないことにならないかな。神様助けて!
  4. ああ、やっぱり『癌』なのか、どうしようもないのか、いやだ止めて
  5. 『癌』なのはしょうがないな

という順序になる、というのが一般的らしい。

私も近親者を癌で亡くしているのだが、割と「2. 怒り」の「『癌』とは言われているが、大袈裟に言っているだけで、私が『癌』なわけはない」というところで止まっていたような気がする。前向きに戦うための前段階に過ぎないはずの「5.受容」までが、実際には凄まじく遠いのではないか、というのが、個人的感覚だ。

癌の場合は、体調が崩れ、薬の副作用が起きてきてしまうので、いやでも死と向き合う事になる。これが死に直結するものでなかったら?

やはりそれは「1.否認」「2. 怒り」までで止まることの方が多いのではないか、特にメンタルの場合は。 

『かしましめし』の主人公の3人は、まだそういう状況なのだと思う。

そして、そういう精神状況の中で、「逃げ場所」として今一緒に住んでいる場所と友達(というか同士?)がいることが、とても素晴らしいと思う。

 

これを『逃げるは恥だが役に立つ』と言ってしまうと、逃げるというカードを戦術レベルで使いこなす、というように思えるのと、同名マンガ/ドラマのせいでちょっとコミカルに感じるところもあってしまうのだが、ちょっと私の捉え方は違う。

逃げるは恥だが役に立つ』は、全然逃げていない話だ。

「ちょっと忖度してよ」という意識的/無意識的な「常識」に対して、「それ忖度する意味ないですよね、単純に私がやりがい搾取されているだけじゃないですか!」という異議申し立てで突破していく話。その決断をするまでに多少の紆余曲折はあるものの、結局心のままに突き進んでいく。そしてそれが叶えられるというファンタジー

『かしましめし』は、社会的にも自分的にも根深いところで挫折していて、そこからどう立ち直ろうかというモラトリアムの話だと思っている。このお話の、特に主人公たちは、根っこのところで折り合いがついていない。社会と、というよりも、真に繋がっていたい人や会社と、というべきか。だから、それを否定することは自分が自分でなくなることなのだけど、それを突き進んでいく自信すら失っている。なので、料理などの話でコミカルな上っ面を晒して生きているが、本当に重いところは、傷を舐め合う存在になりたくない親友の前に見せられない(と思い込んでいる)

また、見せたくない気持ちがわかっているから、昭和の肝っ玉お母ちゃんのように踏み込んでいったりしない。山嵐のジレンマのように、お互いの体温だけを生きる縁にしている程すらある。

それは、問題と戦っていないという意味で、逃げだ。

でもそれは、とても大切なことだ。

骨折した脚で全力疾走しようとしても意味がない。全力疾走するために、回復に時間を使うことが大事なのだ。

しかし、まだ自分を責めたりして、「一生懸命、回復に時間を使うぞ」とはなっていない。そういう段階に、ゆっくりとでいいので進んでいってほしいな、と思って読んでいる。

 

 

 

鶴淵けんじ『峠鬼』(既刊4巻)

時空を超えた、日本の昔のお話。主人公の一人が役小角なので、ベースは7世紀(飛鳥時代)くらい?

峠鬼 1 (HARTA COMIX)

峠鬼 1 (HARTA COMIX)

 

話の竜骨は、一言主役小角のお話。

役小角修験道の開祖とも言われる、伝奇ものではお馴染みの存在。

一緒に旅をする前鬼と後鬼と言う鬼のお供は北斎漫画ではこのように描かれているが、それを翻案して、話を進めるトリックスターとしても活躍する。

Hokusai En no Gyoja Zenki Goki.jpg
Katsushika Hokusai (葛飾北斎, Japanese, †1849) - scanned from ISBN 4-3360-4636-0., パブリック・ドメイン, リンクによる

もう一方の主人公、一言主は『古事記』にて「吾は悪事(まがごと)も一言、善事(よごと)も一言、言離(ことさか)の神、葛城一言主の大神なり」をベースに描かれる。

古事記』などの描写を読むと男神のように見えるが、女神だ(ただし『日本霊異記』のように、役小角に使役される存在ではない)

こう書いていると、ただの伝奇物のように見えるが、かなりSFチックなのだ。時空を超える。ブラックホールや、マルチバースシステムなど、宇宙が出てきたり。

神と人との境がまだ曖昧な時代というのもあり、神無月に出雲の大国主命のところに集まる姿が描かれたり。

世界観がユニークで面白く、さて今後どうなっていくか、楽しみ。

 

一言主

奈良県の葛城には、葛城坐一言主神社が現存する。

hitokotonushi.or.jp

 

能の『葛城』


www.youtube.com

www.the-noh.com