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見たものと、読んだもの

Russians / Sting (1985)

1985年、England出身のStingによる歌。ソロデビュー作 "The dream of the Blue Turtles / ブルー・タートルの夢" 所収。 


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時代背景

この曲が作られた1984年は、ソ連チェルネンコが書記長の時代。翌1985年にゴルバチョフが就任する。この時のアメリカ大統領は、第四十代レーガンで1981年から1989年までの2期8年勤める。

東西冷戦は、第二次世界大戦後から徐々に緊張が高まる。1962年のキューバ危機(ソ連フルシチョフ書記長、米国はケネディ大統領時代)という、すわ第三次世界大戦かと言う緊張の時代があった。1960年代末期からデタント(緊張緩和)時代となっていたが、それも束の間、1979年のソ連のアフガン侵攻によって再び緊張が高まっていた。アフガン侵攻により1980年夏季五輪モスクワ大会は日米ボイコット、報復として1984ロス大会は東側諸国ボイコット。政治の世界だけでなく、スポーツの世界でも対立があり、この対立は一部の政治に興味がある人だけのものではなく、誰にとっても身近なものだった。

1985年に書記長に就任したゴルバチョフによるペレストロイカ(改革/ перестройка)とグラスノスチ(情報公開 /гласность) によって、ソ連は息を吹き返すかに見えたが、時代の波には逆らえず、1989年ベルリンの壁崩壊を契機に、ウクライナなどが1991年8月に分離独立するなどの東欧革命/分離独立を経て、ソ連は1991年12月に崩壊する。

蛇足ながら、その後ロシア連邦は、エリツィンが初代大統領として2000年までの約10年間統治。その後はプーチンが現在まで(正確には第二代&第四代大統領として。第三代はメドヴェージェフ)事実上の最高権力者として20年以上君臨し続けている。

そういう時代なので、西側諸国からするとソ連は悪の帝国であり、いつ核戦争などで地球を消滅させるかわからない、何かのきっかけでいつ第三次世界大戦がおきても不思議ではないと言う描き方をされる時代だった。

そう言う時代背景の中で、この Russians はかなり異色の曲だ。

悪の帝国ソ連をやっつけろ、と言う曲ではなく、彼らにも子供がいて

"I hope the Russians love their children, too / ロシア人も子供を愛していると思うよ"

と言うのは、今で言うと、バットマンが「ジョーカーにも愛する家族がいるだろうに」と言うくらいの衝撃だった。

ちなみに、有名なデビッドボウイのベルリンコンサートが1987年なので、この曲よりも2年ほど後の話。

 

歌詞と試訳

In Europe and America, there's a growing feeling of hysteria
Conditioned to respond to all the threats
in the rhetorical speeches of the Soviets
Mister Krushchev said, "We will bury you"
I don't subscribe to this point of view
It'd be such an ignorant thing to do
If the Russians love their children, too.

欧米諸国ではヒステリー感情が強まっている
ソ連からの)脅威にいちいち反応してしまっているためだ
ソ連による修辞的な演説の中で
フルシチョフ書記長が「ソ連は西側諸国を葬る」と言う
この見解には同意しかねる
それは不見識な行いだ
ロシア人にも愛する子供がいるならば

 

How can I save my little boy from Oppenheimer's deadly toy?
There is no monopoly on common sense
On either side of the political fence
We share the same biology, regardless of ideology
Believe me when I say to you
I hope the Russians love their children, too.

どうやったらオッペンハイマーが作った死を弄ぶオモチャから自分の幼な子を守れるだろう?
常識は確かに一つではない
対立する政治的思想のいずれにも
生物学的には我々は同じものだ、思想的には異なっていても
私がこんなことを言う時は信じて欲しい
ロシア人にも愛する子供がいるはずだということを

 

There is no historical precedent
To put the words in the mouth of the president
There's no such thing as a winnable war
It's a lie we don't believe anymore
Mister Reagan says, "We will protect you"
I don't subscribe to this point of view
Believe me when I say to you
I hope the Russians love their children, too.

歴史的な前例はない
大統領に誰が言わせているのか知らないが
勝てる戦争などありえない
もうそんな嘘は信じない
レーガン大統領はいう「我々は皆さんを守る」と
その見解には同意しかねる
私のいうことを信じて欲しい
ロシア人にも愛する子供がいるはずだということを

 

We share the same biology, regardless of ideology
But what might save us, me and you
is if the Russians love their children, too.

我々は生物学的には同じである、イデオロギーとは異なって
しかし、我々皆を救うのは
ロシア人も子供を愛するのかどうかにかかっている

 

訳出するにあたって

"We will bury you": 

1956年11月18日にモスクワのポーランド大使館で行われたレセプションでソビエト連邦共産党書記長ニキータ・フルシチョフが西側諸国大使に向けた演説の際に言い放った言葉。おそらくこの強い言葉を引用したかったために、1984/85年当時のソ連書記長チェルネンコではなくフルシチョフが登場しているのだと思われる。

ちなみに、その後フルシチョフが1959年に米国を訪れているのだが、当時のロス市長が「その見解には同意しない」と言っているので、そこからまるまんま取った歌詞かと思ったら、それは

"We do not agree with your widely quoted phrase 'We shall bury you.'" とあるように"do not agree with" であり、後述の "I don't subscribe to this point of view" と言う文言ではなかった。

 

I don't subscribe to xxx:

この場合のsubscribeは賛成する、の意味。主に否定系と同時に使われる、格調が高い言い方。このため「xxxに賛成できない」ではなく「xxxには同意しかねる」と訳出してみた。

 

Oppenheimer's deadly toy:

オッペンハイマーは、米国理論物理学者で、米国「マンハッタン計画」を主導した「原子爆弾の父」とされる人物。このため Oppenheimer's deadly toy は原子爆弾と理解するのが自然。また、Little Boy は広島型原子爆弾開発コードネームでもある。核戦争に対する恐怖感が、広島長崎からキューバ危機へと連綿とイギリスにですら受け継がれていることがわかる。

 

There is no historical precedent To put the words in the mouth of the president?

"We will bury you" だとすると、フルシチョフの言葉なので、誰にも騙られているわけでもないので、この説を否定。

このため、ここのフレーズは、のちに出てくる "a winnable war" を指しているものとして訳した。

とはいえ、でも騙らせる主体が誰なのか不明なので、違和感がある。

レーガン大統領は、「みんなを守る」「勝てる」と言っているが、そんなことはない、できないと知っていて、誰かに言わされている、という解釈であれば間違い無いんだけど、レーガン、言っているような気がするんだけど、という意味で腑に落ちない。しかし、他に有力な物を思いつけなかったので、暫定的にこの訳で許して欲しい。(レーガンは役者上がりだから、誰かに言わされているということを示唆したい?? また、それをレーガンは不愉快に思っている?? んー、苦しい)

put the words [into] in someone's mouth:

誰か別の人が思ったり言ったことを、別の誰かの口に(いってもいない)言葉を突っ込んで言ったことにする、言ったことにされた方が迷惑、みたいなニュアンス。

DeepLなどでは「口車に乗せる」的な訳がされるが、下の例から見ると、ちょっと違う感じ。

 

Merriam-Websterの定義

Definition of put words in/into someone's mouth

: to suggest that someone said or meant something that he or she did not actually say or mean

Put words in/into someone's mouth Definition & Meaning - Merriam-Webster

 

LONGMANコーパス例では

put words into somebody’s mouth

spoken to tell someone what you think they are trying to say, in a way that annoys them

Will you stop putting words into my mouth – I never said I disliked the job.

  • I didn't mean that at all -- you're just putting words into my mouth!
  • You're putting words into her mouth. You don't know what she thinks
  • Stop putting words into my mouth - I never said I disliked the job.
  • Stop trying to put words into my mouth.

put words into somebody’s mouth | ロングマン現代英英辞典でのput words into somebody’s mouthの意味 | LDOCE

 

There's no such thing as XXX

XXX なんて存在しない。XXX なんてありえない。

“There’s no such thing as bad weather – only the wrong clothes.” (悪天候というものはない、服装が不適切なだけだ)(only the unsuitable clothesとも)で覚えると良い。

a winnable warは勝てる戦というのが直訳。

核戦争が行われた場合、相互確証破壊(核保有国が核保有国に戦争を仕掛けた場合、相手に核ミサイルを打ったと同時に相手側も打つので、相互が核によって破壊されることが確実であること)が行われ、地球が全滅し、文明が崩壊するというコンテクストを踏まえると「戦争に勝者はいない」と訳すのが適切だと思う。

本当にアインシュタインが言ったかどうかは不明なのだが、こういう有名な警句がある。

"I know not with what weapons World War III will be fought, but World War IV will be fought wi sticks and stones" /

第三次世界大戦がどんな武器で戦われるかは知らないが、第四次世界大戦は棒と石で戦われるだろう。(文明が崩壊して石器時代に戻っているので)

#「世界大戦」という概念からすると、棒と石にはならない気がするけど。

 

It's a lie we don't believe anymore

it's a lie の it は何を示すのか?

本来は "There is no such thing as a winnable war" を、「戦争には勝者はいない」と訳したかった。そうするとこの「もうそんな嘘は信じない」が繋がらなくなる。(勝者のいる戦争があり得ることになってしまう)

このため、itを前文全体を表すのではなく a winnable war を示すと解釈すると「勝てる戦争、というものはありえない。そんな嘘はもう信じない」となって繋がりがスムースになる。

shareとかcommonとか

共通点があるね、と言うことを示すときに

We share the same concept. we have a lot of things in common (with each other)

のような言い方をする。直訳すると「我々は同じコンセプトを共有する」「我々はお互いにたくさんの共通点がある」となる。これはあまりにも直訳調で不自然な気がする。このため「我々のコンセプトは同じだ」「我々は似たもの同士だ」と訳して差し支えなかろう。

 

おまけ: stinginstagramで歌っている。

 
 
 
 
 
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七尾ナナキ『異剣戦記ヴェルンディオ』(3巻まで。続刊中)

『Helck』の七尾ナナキ作品なので、最初の世界観がミクロ寄りに描かれるため、大きいところが読めないことはワクワクにつながるので、とても楽しみ。

表紙の通り、ファンタシー作品である。地球ではないどこか。亜人などが住み、魔術がある。

タイトルの異剣とは、一千人の敵を倒すことができる剣のこと。炎属性など、いろんな属性がある。しかもこれが大量にある、戦乱の世。この時代をどうやって生き延びていくのかと言うお話。(どうやって天下統一するか、と言う話ではない)

どうしても大河ドラマの前半は物語世界を描かないといけないので、話の筋としては踊り場的な感じで停滞感がでがちなのだが、兵站的な話や、小出しにされるキャラクターの描写によって、飽きさせない仕組みになっている。

物語の全貌が見え始めるには、あと数巻かかるのかな。

たらちねジョン『海が走るエンドロール』(2巻。続刊中)

65歳の老女が映画を撮る話、というまとめ方は正しいのだが、本質はそこではない気がする。

なぜか自分で蓋をしてきてしまった何かを、誰が何を言おうと、きちんと解放する話。今まで怖くて見てこなかったものに、きちんと対峙して、解像度高く見てみることを恐れない勇気の話。

かな。

"This is me" な話だと思う。

 

等身大でない描かれ方をする老年の人って、多くないですか?

常々思うのですが、歳をとっている人の描き方って、ステレオタイプが多くないっすか? 映画でも小説でもドラマでも、実写でもアニメでもですが、多くの場合の主人公は若者が多くて、うみ子さん(65歳)年齢だと、昔のドラマだとタバコ屋の店番のおばあちゃんとか、たまに出てきて孫を慰めてくれるとか、昔の思想で固まりすぎて主人公を老害っぽく理不尽に押し付けるとか、そういう役ばっかりな気がする。


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プラダを着た悪魔 / The Devil Wears Prada』 (2006)のミランダは、最初はそう見せてもっと深いところを後から描写してくれるのではあるが。 

 

等身大のうみ子さんが魅力的。

うみ子さんは、料理をするし、娘とテレビ電話するし(Face time?)、一人で映画は見にいくし。ゆっくり歩かないとカメラをうまく固定できない程度の筋力だし。老人の一人ではなく、うみ子さんとして描写されていく。

ステレオタイプではない、きちんとその人という解像度で描いてくれると、なんか良い。75歳が主人公の『メタモルフォーゼの縁側』も、そういう等身大さがとてもよかった。

nimben.hatenablog.com

 

ドラマの駆動力である、歳など関係ない unlearn 力

うみ子さんは、思いだす。

「映画が好き」の解像度を上げると、「映画を観ている人が好き」だということに。それが亡き夫のセリフだったことを思い出すのも、抒情的で良い。自分の蓋を自分で開けるのはなかなか難しいが、自分が覚えていた他人の言葉であれば、もっと簡単になるはずだ。

そこに、もう一人の主人公、海(カイ)の

うみ子さんさあ
映画作りたい側の人じゃないの?
どんな面白い映画観てもさ客席が気になるの
自分の作った映画がこんな風に見られたらって考えちゃってさ
ゾクゾクするからなんじゃないの?

が、被さる。しかも「映画作りたい側」に「こっち側」という振り仮名がついて。

これは、「映画を作りたいんでしょ」と看破するのと同時に、「こっち側においでよ」というプロポーズに近い。

そして、自分で見ないことにしていた欲望が解き放たれる様を、海のメタファーで表されるのは、絵として見ていて心地よい。

短編だったら、御伽噺だったら、ここで終わる。

「うみ子さんは、天命である映画作りに目覚め、幸せに暮らしましたとさ」

ここから、まだ、うみ子さんの学生生活は続く。同級生とぶつかり合いながら、新しい地平を描いていく。ここから新しい出会いがあって、それが楽しいものか、苦しいものか、今まで染み付いたものを unlearn していくものなのか、うまくできなくて凡庸な「ただの老後の趣味の自由時間」に結果的に落ち着くのか、それはわからない。

でも、もう、このチャレンジに一歩踏み出せただけで、5億点ですわねぇ。素敵。

 

海の存在と今後

この物語が凡庸になるかどうかは、もう一人の主人公が、今後どう出てくるかによる。

海(カイ)は、うみ子さんを unlearnさせる存在として当初は出てきた。波風を立てないものの言い方をうみ子さんがするたびに「そういうのいいんで」とバッサリ切るところは痛快だった。

でも、それを引き剥がすだけが彼の、この物語の中の役割ではない。はず。

まだまだ彼には謎が多いのだけど、それの発露と、そしてそれに対峙するうみこさんの反応で、この物語は紡がれていくのだろう。

これからも楽しみだ。

 

 

 

 

深見じゅん『悪女(わる)』(全37巻)

2022年4月から日本テレビ系列で再ドラマ化されるということで、久々に原作を読んでみた。

1988-1997年まで連載されていたので、バブル絶頂期の様子が背景に残っているのはとても興味深い。パソコンのモニタがCRTだったり、機種がNEC PC-9801だったり。(windowsの普及は 日本では1995年年末に発売されたwindows 95からだから、基本はMS-DOSで動かしていた感じですね。一部、Windows 3.1 もあるはずだけど、まあ、そういう画面は描かれていませんが)

秋月りすOL進化論』もほぼ同時期連載開始(これはいまだに連載が続いている)

弘兼憲史課長島耕作』が1983-1992年なので、これもほぼ同時期。

課長島耕作』はガッツリ昭和。接待の宴会芸の話とか読んで、社会人になったらこういうことをしないといけないのかと目の前が真っ暗になった覚えがある。

悪女(わる)』は、男女雇用機会均等法(85年法) によって、女性のガラスの天井がなくなる!? という時代背景もあって、手探りで試行錯誤する平成という感じがある。

非常に画期的だった、女性も出世できる? というところと、非常に古臭いとも言える一目惚れした相手への純愛というふたつを軸にして、主人公の田中麻理鈴(マリリン)が元気と一途に諦めない力で難題を突破していくという物語。

こういう物語の場合は、結局いい人に巡り会えたのか、というところに焦点が当たると思う。そのいいひとを引き寄せる力を、ご都合主義と捉えるのか、主人公のキャラクターが引き寄せた当然の結果と見るのかの分岐点。マリリンは、底抜けのお人好しと突進力で、応援したくなる。

私だったら、あんなに意地悪する人には、そこまでサポートできかねるのだけど。とはいえ、これは女性マンガ特有というよりも、男性系マンガでも愚直で器の大きい主人公は、敵をも魅了するというのは当たり前と言えば当たり前なのだが。

まだ昭和だなと思うのは、偉い人とコネがあるかどうかで色々決まるというところ。まあ、そうなんだけど、こんなにも上の人たちがコロッと愛してくれるというのは、なかなかに王道ファンタジーではある。

再ドラマ化で心配なのは、すでにコンプライアンス的にNGの行為が多いところ。今、ドラマ化するのであれば、そういうのをうまく避ける作りにしないとリアリティがなくなると思うんだけど、どうなんでしょうね。ちょっと怖い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本橋ヨヲコ『少女ファイト』講談社(第18巻)

待望の18巻。

大体年に一回単行本が出るペースだったのだが、17巻は2020年7月発行なので一年半開いた。

しかも、今回は最大の敵、雨宮摩耶戦である。(あえて、青磁高校戦とは言わない)

 

いい意味で裏切られた感じがする。

一つは、雨宮戦ではなく、青磁戦だったということ。

そして、雨宮の狂気というよりも、雨宮を狂気にさせる練の物語であることを再確認させられたということ。

 

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