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見たものと、読んだもの

日本橋ヨヲコ『少女ファイト』講談社(第18巻)

待望の18巻。

大体年に一回単行本が出るペースだったのだが、17巻は2020年7月発行なので一年半開いた。

しかも、今回は最大の敵、雨宮摩耶戦である。(あえて、青磁高校戦とは言わない)

 

いい意味で裏切られた感じがする。

一つは、雨宮戦ではなく、青磁戦だったということ。

そして、雨宮の狂気というよりも、雨宮を狂気にさせる練の物語であることを再確認させられたということ。

 

被害者の被害者性を暴いていく苛烈さ

青磁戦というのは、練が小学校時代に、白雲山中学にバレー受験した時、自分以外が誰も面接しに来なかったという、1巻に出てくるエピソードの回収でもある。

小学生時代に一緒だった、雨宮、火野、木根、土方。

土方は17巻から観測者として青磁の部活動をしていたので、洗脳されていなかった。しかし、火野も木根もずっと雨宮のエコーチェンバー的な洗脳活動によって、嘘ではないが歪んだバイアスをかけ続けられている。

であるにもかかわらず、悪役である雨宮のせいで、火野が、木根が、ああおかしくされた、という話にしていないのがすごい。洗脳される方は、かわいそうな被害者ではない。そうなる方の感情があり、理由があり、それが故に、自ら雨宮に洗脳をかけさせた、かけ続けさせることを許したと看破する。これは、成熟した大人に対する扱いと変わらない。なかなか辛辣な声かけだ。「あなたがそれを許し続けたのよね?」

分かってはいるけど、分かりたくない。分かっているけど、できない。

そういう弱さに対して、『少女ファイト』は、とてもキツい。

自分が自分であることの矜持に、とことん正対させることは、しかし、高校生スポーツという枠組みで考えると、正しいかもしれない。ただ、読むときはそれなりのメンタルの余力がないと、きついこともあるかも、という瞬間でもある。

この矜持があるからこそ、私はこのマンガのファンなのではあるが。とても、アンビバレンツな感じだ。

雨宮というトリックスター

雨宮のサイコパスぶりは、火野などに与えた歪みを完結させることを意図していない、ということにある。雨宮の目的は練に「罰」を与えるためであり、他の要素は全て手段の一つに過ぎない。だから結論が見え始めると、その手段は容赦無く切り捨てられる。不要だと思い、興味がなくなるから。それは子供が無邪気に虫の足をもいだ後にほったらかすのと似ている。

それを煮詰めた先に何があるのか、というのが、物語の大きな駆動力だったように思う。だから、正直もっとすごい虚無感の悪魔なのかと思っていた。『チェンソーマン』のマキマさんとか。もうちょっと理屈っぽくないハンニバル・レクターとか。

しかし、彼女に彼女なりの理由があり、しかもそれが少し理解できる程度のものだったことには、ちょっと肩透かしを覚えた。いや、もちろん「罰を与えなきゃ」というのは、十分に怖い理由ではあるんだが、比較対象を読み手の私が読み違えたというか。春高バレーに出る程度の女子高校生と考えれば、あそこまで狂っている必要はないといえばないのだけれど。

また、やっつければすむ悪役ということではなく、練に執着するものの心の中に、量産型の雨宮が住むという方が、現実的なホラーなのかもしれない。70億人に一人の化け物よりも、誰の心の中にでも住むちょっとした日常的な怖さというか。

練という化け物と、その危うさ

しかし、小田切の仮説として一応の説明は示されているが、練がああも不安定な人を強烈に惹きつける方が化け物かもしれない。これは主人公補正ということで片付けてもいいのかもしれないが、今後も惹きつけていくであろう練が、邪悪なものを惹きつけた時にどう対処していくのかは、今後も課題になっていくのだろう。

今は、黒曜谷を含めたみんなが練を好きでいて、良い方に回っている。しかし、危うくギリギリですり抜けられているだけのように見える。直接対峙してくれるなら、「あすかが私を嫌いだという気持ち私がしっかり受け止めた。あすかが今もバレー続けてくれてうれしい」なんて言えてしまえるけど、雨宮のように周りからネチネチと攻撃をされると、対処のしようがないと思うのだ。(例えば、今回は隆子が救ってくれたが、こういう攻撃に気がついて対処をするというのは、おそらく今の練にはできない。またこれで小田切が傷ついていたら、練は傷つき壊れることしかできないだろう)

高校生にどこまで期待すればいいのか、それはわからない。しかし、その危うさも含めてというか、その危うさこそ、私がこの物語に惹きつけられる大きな理由の一つなのだろう。

白雲山戦で、畳んでいない物語にどう終止符をつけて、次の物語に進んでいこうとするのか。来年の同じ時期くらいに発売が期待される19巻を、しばし、待つ。