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見たものと、読んだもの

原作:井龍一、作画:伊藤翔太『親愛なる僕へ殺意をこめて』講談社

色々仕掛けられているので、ネタバレなしにいうのは難しいが、猟奇的サスペンスミステリー。『羊たちの沈黙』を横溝正史的なウエットにしたものが好きな人におすすめ。

 

最初は、浦島エイジがどこにでもいる普通の下世話な大学生(いや、昭和や平成のか?)で、彼が何らかの力をえて無双するファンタシーかなと思ったのだが、そうではない。

第一話から、彼が解決したと言われるがいまだに疑惑の残る連続猟奇殺人犯の息子であることが明かされる。そして、そこからいい友人に囲まれて、いざこざもありながら前に向かって進んでいくと思うじゃないか。違うのだ。

誰も信じられない。何かの罠かもしれない。第二話では浦島は多重人格の疑いすらかけられる。自分すら信じられない。

面白いのは、90年代から手垢に塗れたこの辺りの飛び道具を、作者はきちんと地に足をつけて描いているところだ。恋愛は、他人から見たらほとんどがオリジナリティのない凡庸なものだとしても、自分に降り掛かればこんなに甘く切なく苦いものはないと感じられるような、そんな足の付け方。

この漫画のいいところは、人のダークサイドを逃げずにきちんと描こうとしているところだと思う。それは性欲だったり、自己効力感だったり、人から見たらどうでもいい小さなことで、どうしようもなく欲してやまない何か。それを得ることによって、他人がどんな不利益を被ろうが、それでも、あるいはそれだからこそ、欲しくなる。そういう人間のどうしようもなさ。人の中に潜む、ケダモノ的な何か。

「あなたはあなたであることだけで素晴らしい」ということが盛んに言われている。そしてそれだけ見ればとっても正しいことだと思う。 "The Greatest Showman" の "This is me" はそれを歌った名曲だ。


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しかし、自分が自分であることによって、人を傷つけているとしたら、その「自分らしさ」は守られるべきものなのか?

連続殺人鬼は、連続殺人をする自分らしさを尊重されなければならないのか? いや、殺人は極端な例として、ではそれを「異常」と「正常」で線引きするとして、明確な線は引けるのだろうか?

残念ながらキレイには引けない、ということを僕らはもう知っている。それによって、我慢ばかり強いられる人がいることも、なぜか要領よくフリーライドして生きているように見える人もいて、やるせない気持ちになることも知っている。

そのやるせない思いが煮凝り、澱み、歪んでいった結果、何が起こるのかは、誰にもわからない。突き詰める人もいるし、スルーする人もいるし、別のことで発散する人もいる。

この作品は、ダークサイドを突き詰めてしまった人たちの哀しい踊りを見ているような、そんな気分にさせられる。そういうざらりとして心のひだをトレースしながら読みたい人におすすめする。