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見たものと、読んだもの

ディストピアの中で、楽しく生きる?

世界がどんなに「正しい」としても、それが自分に合わないのであれば、声を上げて、自分らしくありたいと願う主人公が悪戦苦闘して、最後にそれを得る、というのがエンターテイメントの類型の一つだと思う。

 

特に近年は「私が私らしくある」ということを描くことに、フォーカスが当たっている。たとえば、それは、『グレーテストショーマン / The Greatest Showman』(2017) の "This is me"。

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フィリップKディックの作品では、いつの間にかディストピアに組み込まれている市井の人々の苦悩が描かれていたりする。彼の原作の映画だと、たとえば『マイノリティリポート / Minority Report』(2002)

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犯罪予防局に、やってもいない犯罪を犯すことを予見されて逮捕されたりとか。

 

リコリス・リコイル』(2022) は、そういう意味で異様だった。

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ディストピアで、ディストピアを強化するために働く(ないしは使い捨てにされる)主人公が、ディストピアを破壊する悪役と対峙する物語でもあるから。(話の本筋は、そこではないにしても)

 

ディストピアの中でも、こんな感じで自分らしく生きることができることを模索して実現できると楽しいよ、ということがエンターテイメントになるというのは、興味深い。

いわゆる「なろう小説」でも、ディストピアである日常から、ゲームの世界やファンタシーの世界に行って、無双する作品が多い。

ってことは、今の現実の世の中は、戦略的には全く変えられないディストピアということを前提に、その中で、ないしはその他で自分らしく生きていくという物語の方が、感情移入やすいってことなのかなあ?