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見たものと、読んだもの

伊賀泰代『生産性』ダイヤモンド社2016

教科書的なまとめとして、よくまとまっている。人事教育という視点では、さすがに経験者だと思う。

生産性―――マッキンゼーが組織と人材に求め続けるもの

生産性―――マッキンゼーが組織と人材に求め続けるもの

 

 

直接間接部門を問わず、「生産性=成果÷かけたリソース」、と言い切るところは痛快。残業代議論で、量を減らすことだけに話が集中するのはポイントが外れていると言い切るのは、とても大事なこと。

 

そう、ポイントは、量も質も、なのである。

 

意味ないKPIで人を縛り、management by objective なんてやっても、正しいところに行けないのだ。

 

現場が質を変えずに量を変えようとすると、「善意の自発的な」サービス残業が増えるだけ。若くなくなって体力がついていかなくなったら、the endである。

経営も、正しい意味での合理化(解雇って意味じゃないよ)を働かせるインセンティブがなくて質を変えないなら、黒船がきたら、一瞬でお陀仏である。なので、生産性を向上させないのは、誰も得しない。

生産性を上げないから雇用が生まれる。雇用率を考えると生産性は低いほうがいいという説もあるけど、わたしにはそういうマクロな話はよくわからない。

働いている立場からすると、たとえば親の介護とかしながら働かざるを得なくなったとき、時間の量で貢献できないとすると、一気に収入が下がる(ないしは辞職せざるを得なくなりそうな)ので、生産性が高くて時短労働して、収入がさがるのをできるだけ抑えつつ、介護時間の捻出にあてざるをえないというのが、わたしのミクロなお話。

イノベーションは、自分で制御できる範囲を超えていることが多い。だから、凡人たるわたしとしては、業務をカイゼンしていって地道な生産性向上をする。PDCAをまわして、というのを日常にするのが、前提条件。そのうえで、イノベーション(これ、どのレベルのイノベーションかは、各人の持つ職責でずいぶん違うとおもうので、下手をするとただのbuzz wordにしかならないのが怖い)をどう起こせるかを考える/試すんだろうなあ。簡単にみつかったらイノベーションじゃないしね。

会社を変えるイノベーションとなると、経営レベルでないとなかなか実行できないし、経営レベルを前提としたお話でもないとおもうので。業界レベルになると、天才レベルだし。なので、「イノベーション」に銀の弾丸を見てしまったら、それはビジネスポルノとしてこの本を読んだということなので、あまり役に立たないかも。

 

蛇足ながら、編集者はもうちと仕事をしてほしい。

Week pointという誤字はありえない。これは校正の問題。それこそ、タイポしやすいのだから、一気に検索一括置換で生産性上げとくべき。

あと、そもそもアルファベットを書く必要があったのか疑問。time for motivation とか。縦書きで出版するなら、90度回転させての表示となるアルファベットは「イノベーティブ」に削除して、読者の可読性という生産性を上げるべきでは?

なので、本の中で言っていることと、その一つの結実であるべき本としてのアウトプットが矛盾するように見えたのが、この本の目指すところに疑問を抱かせかねないので、とてももったいなかった。

2016年映画トップ3

今年映画館で観た映画は5本しかないので、トップ3を順位つけずに。

 

この世界の片隅に(映画館)

個人史的に別格。

徹底的に調べて作画していることが評判になっているけれど、それが目的でなく手段にしてあるところが、とてもよい。

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シン・ゴジラ(映画館+4DX)

映画館で複数回鑑賞をしてみたって、初めてじゃないかなあ。

「こう描きたい」というよりも、(本当かどうかはおいておいて)こういう風になるはずだ、という一歩か二歩引いたクールさからの、最後の熱い戦いという、かなりのプログラム映画っぷり。年明けに見た『アウトレイジ』的な感じがよかった。エヴァもそんな感じで作ってみたらいいかもね。まったく別の作品になるような気もするけど。庵野以外はほとんと同じ座組みの『進撃の巨人』がコケたことを考えると、庵野の偉大さを感じる。雇われ映画監督のほうがいいのかもね、庵野

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『偉大なるマルグリット』(映画館)

嘘でも信じられることがあるということは、たとえ周囲のものから見て痛い状態でも、本人が幸せだったらいいのでは? という方向に見せかけて、でもそれって一時はいいかもしれないけれど、いずれ整合性がつかなくなるよね、どうするの? というコメディに見せかけて、辛い現実を突きつける作品。

同じ元ネタの映画『マダム・フローレンス』がいまかかっているが、未見。

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主な見逃しは、

サウルの息子』『ちはやふる』『ズートピア』『エクスマキナ』かなあ。

映画館ではないが『オデッセイ』(いやー、『火星の人』がいいよ、やっぱり)は、おもしろかった。

 

2016年の美術鑑賞振り返り

今年は予定していたことができない以上に、予定外の美術鑑賞ができて、全体としてはとてもよかった年だった。なんといっても、パリとロンドンに行くことができたので。

 

パリ:ルーブルオルセー美術館

これは記事にしていなかったので、簡単にふれます。

別格:サモトラケのニケ @ルーブル美術館

ニケはいつみてもニケなので、過去記事にて。

 

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#20200202: 過去記事がうまく貼れていなかったので貼り直した。

 

刻々とかわる陽光のなかで、刻々と表情を変えるニケに寄り添うのは、とても幸せでした。

Marc Chagall/シャガールの天井画(1964年) @パリオペラ座

f:id:nimben:20160209191525j:plain

1875年に竣工したガルニエ宮に、1964年にシャガールの『夢の花束』を天井画としてつけたもの。100年ちがうというのに、非常にしっくりきていて、キンキラキンなのに優雅という息を呑むような組み合わせでした。

7月28日 - 民衆を導く自由の女神』(1837年)

Ferdinand Victor Eugène Delacroix / ウジェーヌ ドラクロワ @ルーブル美術館

これもロマン派か。そういう区別でみていなかったので、調べるとおもしろいね。

いわずとしれた名作なんだけど、一般に知られているのはこの撮影だとおもう。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/a7/Eug%C3%A8ne_Delacroix_-_La_libert%C3%A9_guidant_le_peuple.jpg

シワが縦1/3と2/3のところに真横にはしっていること。女神に目を奪われていたが、足元に屍体がたくさんあることに今回気が付いた。

f:id:nimben:20160207124304j:plain

上三分の一は女神の顔と三色旗。

真ん中の三分の一は、生きる人間の顔。

そして下三分の一は、犠牲になった人たち。

これに気づけるのは、生の良さだなあ。

 

François-Édouard Picot François-Édouard Picot, L'Amour et Psyché (1817).

これ、びっくりしたのだけど、天使にちんちんがついている! 天使は無性だとおもっていたので、男性器が存在しているのもあるのだなと、感心してしまった。

L'Amour et Psyché (Picot).jpg
Par http://augustonemetum.ifrance.com/tableau.htm, Domaine public, Lien

パオロとフランチェスカ』(1855年)

Ary SCHEFFER (アリ シェーフェル)@ルーブル

ロマン派のこの作品は、今まで見たことがなかった。悲劇と官能とが合わさったこの作品は、物語の前後をいろいろ妄想させてくれて興味深い。下敷きはダンテ『神曲』第一編第二圏五歌。

1835 Ary Scheffer - The Ghosts of Paolo and Francesca Appear to Dante and Virgil.jpg
By アリ・シェフェール - [1], パブリック・ドメイン, Link

 

 

ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会

オルセー美術館

私を追いかけて東京の新国立美術館にもきたのだけど、それは見逃した。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/9c/Auguste_Renoir_-_Dance_at_Le_Moulin_de_la_Galette_%28ex_Whitney_collection%29.jpg

やはり大作は生で見ると迫力がちがう。映画を自宅やモバイルでみるよりも、スクリーンでみたほうがすごい、みたいなもので。

番外。駅としてつくられたオルセーは構造がおもしろい

f:id:nimben:20160207171813j:plain

たしかに駅っぽい。

もっとゆっくりしたかったな。今度くる機会があれば、最初に一番上にいって、ゆっくり下っていく。(印象派が一番上の階にあるのだが、時間切れでほとんどみられなかったのだ)

ロンドン

tate modernがすばらしかった。現代美術が好きになるとはおもっていなかった。丸一日、いや二日くらいかけて籠りたい。tate britainもよかった。ターナーをほとんど見逃すという、何をしにtate britainにいったのだという感じ。でもオフェーリアに会えたから満足。

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#20200202: 過去記事貼り直し

東京

いくつか見逃しがあるのだが、絶対行きたかった若冲展に行けたのでよかった。

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 ねこまたさんがキュートだった国芳を、ライバル国貞と並べるこれもよかった。

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ルーブルやオルセーなんかは、東京の特別展にくるとすればどれも目玉級が揃うというオールスターキャストすぎて困るわけですが、それ以外のものは、どう補助線をひくかというキューレーションが、ものすごく重要なわけで。ときにさりげなく、ときに挑発的に作品をならべていくキューレーターのみなさんの凄さに気が付いた一年でした。

ありがとう!

 

片渕須直『この世界の片隅に』/後追いで調べておもしろかったこと

GIGAZINEのインタビュー記事が充実している。以下時系列。

クラウドファンディングをしていた2015年5月。

gigazine.net

 2016年11月11日、公開直前インタビュー。

gigazine.net

2016年11月12日の公開直後の講演

gigazine.net

ブラックラグーン』は好きな漫画であり、アニメなのだが、監督が一緒だとはおもっていなかった。タッチはぜんぜん違うしね。原作漫画の良さをうまくすくいとったという意味だと同じかもしれないけれど、それだとぼんやりすぎる。

どっちかというと、『この世界の片隅に』は日常系四コマ漫画っぽいかもしれない。

これくらいの小さな物語のほうが、いまはわかりやすいだろうなあ。

戦争とは何か、というのを真正面からとらえるのはとてもむずかしい。

「わしら国民は軍部に騙されていた」史観も、「生き残るために戦わざるを得なかった」史観もある。侵略した側でもされた側でもある。どちらの一面を強く感じる立場にいたかで、どちらが正しいとおもうかは変わってくる。当時に生きていたら、自分がどちらに与していたのか、正直わからない。後知恵ならいくらでもできるけれど。

日常系でいけば、生活描写という事実を積み重ねることで、世界観を構築できるから、観客にとっても世界に入って行きやすい。だからこその、すさまじい考証なんだとおもう。

『東京ゴッドファーザー』で描かれたように、実写だとエググなりすぎるかもしれないものをアニメで中和するというのも、受け入れやすさだとおもう。

しかし、ガンダムエヴァを生んだような、何かしらの系譜になるかどうかといわれたら、うーん、やはりこの作品はこのまま特異点のまま終わっていきそうな気がする。

もしやれるとしたら、水木しげるの南方戦線の話をアニメ化するくらいかね。

"Thin Red Line" とはまた別の味の何かができるとおもうのだけど。

 

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海野つなみ『逃げるは恥だが役に立つ』テレビドラマ版も合わせて

ガッキーがかわいいだけのドラマと一部言われているのは知っている。

ガッキーはたしかにかわいい。

が、その絶妙なコメディエンヌぶりと、相方の星野源のコメディアンぶりに隠されて、けっこうディープな話をしている。

原作もまだ完結していないが、読みました。ガッキーのかわいさに寄りかかれない分、ぎゃくに普通の子だからこその悩みがみえて、こっちはこっちでおもしろい。

 

 

原作付きの脚本だと、いまこの人をおいて他にない野木亜希子。『空飛ぶ広報室』『重版出来』もすばらしかった。

 

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尺の長さに合わせてもちろん改変してあるのだけれど、原作の一番すくい取りたい部分をきっちりテレビの形に掘り起こす。一本の木から掘り起こす仏師のようだ。

 

さて、この作品で出てくる単語で、じつは一番解釈に苦しむのが「小賢しさ」だ。

小賢しさというのは、どうしてそう思うようになるんだろうか。

小賢しくしようと思って、小賢しく振舞うひとはいないとおもうのだが。

少なくともみくりは、ひとを見下したり、マウンティングをしたくて「小賢しく」振舞っているわけではない。そこは「意識高い系」や「能ない鷹が爪だしまくり」な見下しとは違う。いわば大きなお世話の一種なのだと思うが、それが裏目に出る。

でもそれは、男女共同じだろうにとおもう。

なんとなくだが、作者は「女子供はだまってハイハイいってりゃいいんだ」というやつに長く晒されて、意識的にか無意識的にか、若い女子が合理的ないし論理的なことを言うということに対して、(特に大人の)男は見下して「小賢しい」というものだ、というのがあるんじゃないかという気がする。

そのわりには、平匡さんのように、ステレオタイプとはちょっと違ったキャラクター造形をするからおもしろい。

原作は完結していないが、どう完結させるんだろうね。たのしみ。