一般的には、メディナ・ハハルク回と言われるのだろうけど、私にはイシュトア先生回ですね。素敵。
少年マンガの良さの一つに、まだ何者でもない少年が、何かになりたいと痛切に願い、幾多の難関を乗り越えて、それを勝ち取る、というところがある。
司書の試験に受かっただけで、まだ何者でもない見習いたち。
この少年少女(年齢的にはおばさんもいるけど)が、どう成長していくのか。
メディナのねじくれかたは、かなり不快だ。特に前巻での表現などは、怖気をふるう。実際に同級生として彼女に接することになれば、なるべく遠ざけることになるだろう。そうでもないと、唾棄してしまいそうだ。
とはいえ、私は、メディナにも感情移入できる。
体の中にどうにもできないイライラが爆発してしまうことは、思春期にはよくあった。
辛いよね、上から怒られるわけでも、対等に喧嘩するわけでもなく、慈愛に満ちた目で見られても。あんなに一気に変わるかどうかは、わからないけれど、変わることができることを物語として示してくれるのは、とても勇気が出る。
指導者の立場であれば、他の副担任達と同じように、私だったら、メディナは切りたいだろうな、面倒見きれないもの。
しかし、イシュトア先生は、生徒の中の可能性をみる。
決して引かない。ダメなものはダメと言い、できれば褒める。指導とは、矯正する事ではなく、あくまで自分が変わらないと意味がない。他人が関与するとしたら、上からではなく仲間からであってほしいと願う。自助努力を求めるが、環境の整備は水面下で懸命に行う。かっこいい。これが大人だ。
シオは、本当に主人公だなあと思う。
主人公の一番大事なところは、諦めないことだ。
そして、それによって感化することだ。(薫陶となるとやりすぎだ。あくまで対等の仲間でないと)
私が人を感化できるような人間であるかどうかは別として、足掻くことはできる。そう思わせてくれるというのも、またこのフィクションのいいところだろう。